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これから考えていること

こんにちは。
お久しぶりに記事投稿します。記事といっても、これからnoteをどういうふうに書いていくかのお知らせという感じですが。

約2年前に、大好きなアイドル「タイトル未定」さんのライブレポという形で書いてちまちまと投稿していた。

最初は自己満&ライブを振り返りたくて書いていったのだが、周りのファンの人や推しメンに「良かった」とか「こう思ってくれててありがとう」「見やすい」等色々感想を伝えてくれててその後も度々タイトル未定のワンマンライブやTIF、バースデーライブと
いった大きなライブについての感想を書いていた。
正直、文章を書くのは好き。小学生の時に作文用紙に書いた自作小説(黒歴史)を友達や女子に見せびらかしたり、20代の頃は東方Projectのキャラを使って設定を崩さないように考えたシナリオをメモ帳に入力して3Dモデルソフトを使ってニコ動に投稿したりと”文章”を考える時間が結構あった。今でも知り合いに引かれるくらいの枚数の手紙をよく書いてる。
実際に言葉を口に出して話すよりも、こうして文章として出力した方が自分自身の気持ちと考えを表現しやすいし変なこと書いたなと思ったらすぐに修正出来るからだ。
”修正”と聞くと嫌な感じに聞こえるかもしれないが、人間みな失言が無い事は無いので事前に失言を回避出来るのは気分的に楽だったりする。

しかし、そこまで文章を書くのが好きなくせして記事にしてなかったり下書きのまま眠っているライブレポが実は多い。
単に仕事やプライベートが忙しかったりライブが終わってから時間が経ってしまい「今更書くのもなぁ…」と面倒くさくなった、と当時の自分はそう考えてそのまま放置してしまった。それでも頑張って記事を書いては推しメンに見せて感想をもらったりしてた。
しかしこのままではもったいない。どうしてこんなにnoteを書くのが億劫になってしまったのだろう。


推しメンもnoteを投稿しているが、その子も日々の活動で忙しかったり悩みがあって書けなかったりする事があるという。
それでも投稿された記事を読むと、感情が文字を介して伝わってくるし推しメンの気持ちと考えも少しずつ見えてきてまるで実際に会話しているような個人的にゆっくりと噛み締めて読み進めたくなるとても好きな記事を書いていた。忙しい中でも無理して書いてるような文章には見えなくて、毎回「これを伝えたい!」と考えながら書いているのだろうなと感じている。

改めて自分のnoteを見返してみると、だんだん”マンネリ化”して書いてたんじゃないかと思えてきた。
スタイルとしてはライブレポなので、「今回はこの曲をやりました、それに対してこう感じました」「ここのMCはこうメンバーが話してて自分はこう思いました」そして最後に全体の感想をまとめる、そんな様式で文章を書いていた。
確かに、何がどれをやったのかとかここがそうなってたとかは実際にライブを観た人も観てない人にも分かりやすい。
けれど自分が見返したらまず思ったのが、

”つ  ま  ら  な  い”

だったことに最近気づいた。

自分の記事を読み返す度になんだか「読み物としてはつまらない」と感じてしまったのだ。
これだ、と思った。だんだんnoteを書くのが億劫になってしまった違和感の正体は。きっと書いてる間もワンパターンすぎて流れ作業みたいになってしまったんだと思う。
悪く言えばハンコ記事だ。どれも似たような文章構成。
”ライブレポ”として見れば普通に分かりやすくて良いが”自分個人としての感情・考え”として見たら弱い。
観たままの出来事と観たままの感想をそのまま書いてしまっていた。
つまり、主体的ではなく客観的だったんだと。
最初のはそうでも無いけれど、最新の記事は結構そこが顕著に出てると思う。

今の自分はnoteをどうしたいのか改めて考えてみた。
推しメンに文章を褒められるようになってから、”ライブレポ”としてだけではなく”自分個人の感情・考え”も出していきたいと気持ちの面ではそう思っていたのに文章はそうなっていなかった。だからだんだんワンパターンに無意識に義務感を感じてしまっていた。
”ライブへの感想”だけじゃない、”自分の感情と考え”も書いていったほうが自分的には楽しいし続けられるんじゃないかと思う。





というわけで、これからは思ったこと・感じたことを自分らしくつらつらと書いていこうと思うので今までの記事よりも見づらくなると思います(笑)
もちろんライブレポもこれからは大きなライブの事は毎回書いていきますが感情を重視して書くと思うので今までとは違った構成になるかもしれません。分からんけど。見てくれる人がいたらよろしゅうです。








葉菜ちゃん大好きです…

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