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母の日に読みたい、母を想う詩人サトウハチロー

今年の桜は開花が遅い、それでも咲いたかと思うとすぐに新緑の季節がやってくる。五月は母の日の月である。2020年、世界中の人たちはウクライナの母の涙を見た。母たちはロシアの侵攻によって瓦礫になった故郷を捨てて、幼い子供の手を引いて隣国に逃げてくる。安全な場所に着いたことに安堵して涙を流す。その姿は世界中に放映された。


世界で最も美しいと言われる国の母親たちである。彼女たちの家族や故郷を思って流す涙は人々の胸を打った。涙に濡れる横顔は映画や小説に描かれる母の姿そのものである。その戦争は終わらず、更にイスラエルやパレスチナでも悲劇が起こった。母たちが悲しみに暮れる世界は間違っているだろう。

母の涙

平和な国の母はやかましい。夫や子供にしょっちゅう文句を言っている。「どうして歯磨きをちゃんとしないの」「あなたも何か言ってよ」「またぁ、人の話を聞いていない」「どうするのよ」・・・世界は私の望むとおりになるべし、のごとくの剣幕である。

「聞いてはいるけど返事をしにくいこともあるだろう」「どうするのと言うだけじゃなく自分も考えてくれよ」と思っても賢明な夫は口にださない。勝てないのを知っているからだ。夫は母が子供の危機に身を挺するのを知っている。

男は偉そうにいっても女がいないと生まれてこない。「女をば法の御蔵と 云うぞ 、実に釈迦も達磨もひょいひょいと生む」一休さんの言葉である。キリスト教でも同じだ。イエス様はマリア様の処女懐胎で産まれたから男は全く必要ない。ロバート・フルガム氏の「人生に必要なことはすの「マリアの父親」にそのくだりが面白く書かれている。秀逸なのでぜひ読んで頂きたい。


母の日の由来 アン・ジャービスとアンナ・ジャービス

さて母の日である。母の日はなぜ五月の第二日曜日なのだろう。調べると一人の女性の存在があった。母の日は米国のバージニア州に始まる。南北戦争の時、敵味方を問わず負傷兵の衛生状態を改善しようしたアン・ジャービスという女性がいた。敵味方を問わずというのが素晴らしい。

ジャービスの亡き後、娘であるアンナ・ジャービス(少しややこしい)は母の功績を想い記念会を開催したいと考えた。彼女の望みは母が日曜学校の教師をしていた教会で叶う。その日は1907年5月12日の日曜日だった。アンナは記念会で母が好きだった白いカーネーションを配った。

アンナの母を思う気持ちに多くの人が共感し、翌年の1908年5月10日の日曜日を母の日として祝った。母の日は1914年に5月の第2日曜日が正式な記念日として定められた。母を想う一人の女性が政府を動かしたのである。

日本では米国に習って1949年から始まった。母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを贈った。


母を想う詩人 サトウハチロー

どのような人の心にも優しい母の思い出がある。日本にも母の愛と思い出を求め続けた詩人がいた。サトウハチローである。詩人の外観はいかついが詩は繊細でせつない。

貧しければ貧しいなりに                                           
 小鳥を飼い 金魚鉢を置き                                             
 小窓に草のみどりを絡ませる                                        
 それをわが子といっしょにながめるために                                
 ただそれだけのために

 サトウハチロー 詩集 おかあさん<セレクト版> 日本図書センター

母と小さな子供が窓から外を見ている、二人の後ろ姿が目に浮かぶ。子供は無心に外を眺め、母は子供の眺めるものを見ている。そこにあるのは母の無償の愛と子供の信頼だけ、完全に純粋な世界である。

サトウハチローの詩を読むと子供のころを思い出す、自分にそんな時があったのだと不思議な気分になる。幼い頃は母が世界の全てだが、成長するにつれて偉そうになり、ついには母の世話が大変だと嘆くようになる。そうなっても母親は優しく子供を受け入れる。父親はそうはいかない、母と子の世界に入れない。ハチローの詩はそんな父親でも母と子の世界に連れ戻す。

サトウハチローを読んでみよう

サトウハチローの作品には、童謡の「小さな秋みつけた」やフォーククルセイダースの「悲しくてやりきれない」がある。どれも哀愁おびた良い詩だが、母の詩が一番心に染みる。いわさきちひろの絵と組み合わせた詩集は特に良い。爽やかな五月の風を感じながら、このような詩を読むのは悪くはない。

よく似た名前の漫画家にサトウサンペイがいる。彼の作品は疲れたサラリーマンを癒やしてくれる。

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