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【エッセイ・思い出綴り】郷愁・昭和の伊那まち〜長野県伊那市④

④ 通り町に初めてやってきたスーパー、「スーパー加藤 」

「スーパー、って何?」 誰しもがその仕組みがわからず、アメリカで流行っている未知なる八百屋さん?で、お店の中の好きなものをとって、カゴに入れて、出口にあるレジの前に並んでお金を払うお店、そのくらいの知識しかなかった。

#現在のスーパー加藤

 それまでのお買い物は、どのお店に行っても、どの売り場にも店員さんがいて、一つ一つの商品を手に取って、説明してくれて、お金を店員さんに手渡しで支払うのが”お店”だった。
 
 物々交換の昔から、市場での買い物は店員さんとのコミュニケーションから始まっていたし、行商さんや軽トラの訪問販売も、寅さんのような香具師テキ屋さん商売、その話しを聞いて、世間話をすることがお買い物の一番の楽しみだった。
 
 通り町の百貨店西澤の食品売り場でも、おもちゃ売り場でも必ずどの売り場にも店員さんがいて、子供が十円玉一つを持ってサンマを買いに行っても新聞紙で包んで渡してくれた。

 開店セールと新しい買い物スタイルで、スーパー加藤は大行列の大人気になった。しばらくして、ニシザワの食品売り場もスーパーニシザワになり、シマダヤにも食品売り場ができた。

 以来、スーパー型式が主流になり、小売りのお店が中心だった通り町もシャッター通りになった。自動のレジマシーンになって、レジにも人がいなくなって、機械操作に弱い母はスーパーでお買い物も、できなくなってしまった。

#コーセー市場の入口、スーパーニシザワのレジ出口もこの小径に向かってあった。

 京都大丸デパートの地下食品売り場の専門店街では、昔ながら?に各店頭でお金のやり取りがあり、夕方になれば割引きにもなる。 ふと足が向いてしまうのは、子供の頃からの郷愁?なのかもしれん。

/ks




 


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