大宇宙の精神(9)

つまり「我に狐がついている」とか
または「我は狐なり」(その他の憑き物なり)
とかいう概念に支配される
内意識の活動である。

決して狐が憑くとか
またはその他の物が憑く
等というものではない。

然るに
全く狐が憑くものと迷信しているから
火をつけて焼き殺したり
唐辛子に燻して燻殺したり、
その他種々の
戦慄すべき迷信劇を各地で演ずるのである。

しかも相当の
知識階級においてさえ
かくの如き惨劇を演ずるのである。


昭和元年頃の事件だが、
群馬県の●本フク(32歳)が例の狐憑きとなって、
某寺の住職に狐払いの祈祷を頼んだところが、
その坊主はフクを池に突き伏せ、
溺死、いや溺殺したのである。
水に突き伏せれば
狐は息ができないから死ぬ
と思ってやったことであろうが、
いやしくも寺の住職ともある者が、
このような戦慄すべき
迷信劇を演ずるのも、
狐が人に憑くものだ
というバカバカしい迷信を信じている結果である。
 

ある68歳の男性が
長らく胃腸病で悩んでいたが、
突然に変妙なことを言ったりしたりするようになった。
医師は精神病だと言った。

種々の療法を講じている中
狐憑きだと言われて
40kmも離れた東京の「狐払いの名人」だという行者を頼んで来た。

その行者は
長く病床にあって衰弱しきっているその患者を
腕任せに殴っているところを
巡回中の巡査が見て
「こら、何をするんだ!
そんなに衰弱しきっている病人を
そんなに虐待して」

行者「これは病人を虐待しているのではありません。
狐を殴っているのです」

巡査「何、狐だ?狐がどこにいる」

行者「普通の人には見えませんが、
私には見えます。
これこの通り狐の毛がたもとにあります」

巡査「何っ?これは綿の毛だ。
貴様こそ目がグレているぞ。
あまり人を惑わすな。帰れ!」
と大目玉をくらった行者は
そこそこで帰ったとのことである。

その後、この病人に会長が依頼されて、
患者に向かって
「貴方は何物ですか?」
といった。

すると彼は
「俺は小谷田の稲荷からきた狐だ」

会長「何故に来たか」

彼「この病人を助けに来たのだ」

会長「貴様等が他つけてくれなくてよいから帰れ」

彼「俺が憑いていなければ
この病人の命はないのだ」

会長「貴様等が憑いていなくとも大丈夫だから、
すぐ帰れ。帰らなければ僕が追い出すぞ」

彼「いくら追い出したくでも出るものか。
そんな事をすれば
大勢の仲間を引き連れてきて、
お前(会長)をしめてやる」

会長「そんな事にびくともするものか。
百万の狐がきても僕の法力で一払いだ」

彼「なにくそ、追い出せるものなら追い出してみろ」

このような面白い問答や論戦のあとに
会長の法術でその狐を追い出してしまった。
すなわち、
彼の「我は狐なり」という観念を
除去してしまったのである。
故に彼は全く普通の精神状態になったのである。

なる程、本物の狐が憑いているなら、
それを殴ったり、火でもつけたり、
または唐辛子で燻したりでもしたり、
あるいは水の中に突き伏せれば
狐も苦しくなって
たまらなくなって逃げるだろう位の想像は
子供でも考えるのであるが、
決して狐が憑くのではないのである。

また、本物の狐が憑いているのなら、
行者には見えて他の者には見えない、
ということはないはずだ、
なおまた、狐が人目に見えなくなる
魔力や技術を持っているものとすれば
それこそ人間以上の高等動物である。

故に人に箱の中に入れて飼われたり
または人に皮を剥かれて肉を食われ
皮は首にまかれたりするはずもないのである。

要するに狐が人に憑くということは
絶対にないので、
狐憑きという現象は変態心理に基づく
一種の変態精神病である。
総て世間で言う「憑き物がした」という病人は
これと同じ心理に基づく変態精神病者である。
 
 
 
寝ぼけて
種々グレたことを言ったり
変妙な事をしたりするのも皆
内意識の活動である。
 
寝ぼけて、
種々の事をしたり言ったりしたことや、
夢に見た事などを
覚醒後においてよく記憶していることと、
忘れてしまう事がある。

その記憶している場合はその当時、
勿論内意識が活動したのであるが、
外意識は静止状態にあったのである。

故にその当時の事を
外意識は感受しているから
覚醒後もこれをよく識っているのである。

覚醒後忘れてしまう場合は、
その当時外意識は
完全に休止状態になっていて、
内意識が活動したのを全然感受していないのである。

故に覚醒したときは忘れてしまうのである。

然れども内意識内には
記憶しているのである、
が、覚醒後は活動しない精神であるから
忘れている、
故に前に見た
夢の続きをまた夢にみることがあり
あるいは忘れていた夢を
また夢にみてこれを知ることがある。

なおまた、その夢を
人に語らうとすれば
しれているような気がするが
話せないという事があるのである。

また所謂狐憑きや神憑り狂が
その当時に種々な事をしたり、言ったりした事等を
その狐憑きや神憑り狂が治ったあとで
よく記憶している場合と、
忘れてしまう場合とがあるが、
これも前述の夢や寝ぼけの場合と同理である。
 
静止(または鎮静)状態とは、
活動もせずすなわち静まっていること。

休止状態とは、
全然休眠してしまって、
すなわり死んだ如くになっていること。

これをわかりやすく例えれば、
静止(または鎮静)状態とは、
静まった水面のようなもので、

休止状態とは、
凍った水面のようなものだ。

つまり、
静まった水面には毛一本を落としても波紋を起こす、
すなわちどんな少しの刺激でも感受する。

凍った水面には石を投げても(勿論程度問題だが)
波は起こらぬ、
すなわち刺激を感受しないのである。
 
また「これは夢である」
などと思いながら夢を見ている事や、
または「これは夢でなければよいが」
等と思いながら夢を見ていることがある。

こんな場合は内意識のみが活動しているのではなく、
外意識の一部も活動しているのである。
このような現象は神経衰弱や
または過度に心労している者等によくある現象である。
 

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