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第二章 自然と我々(3)

※この原稿は、100年前に書かれたものを現代語訳しています。
 事例は古いものですが、人間の本質、自己治癒力の
 本質は100年前も今も変わりません。

多くの人は
安静とは静かに寝ていることがだ
と思っている
が、
なるほど、これで
「肉体だけは安静である」が
精神の安静は得られていない
人が多いのである。

多くの患者は
寝ていれば
かえって、次から次へと
心配する懊悩する悲観する、
そして寸時も
心の落ち着くときがないのである

これすなわち
心が大動乱を続けている」のである。

このような精神の動乱は
自然療能の大障害となるのみではなく、
自然療能を抑えつけてしまうものである。

自然療能の活動しない身体に居所をかまえた病菌は
前後左右に敵もなければ、妨害物もない
のである。

つまり、病菌にとっては
絶対の安住の場所であり
繁殖するには申し分のない場所になっているのである。

故に、いかに安静にしているつもりでも
肉体だけの安静では、病菌の繁殖には
かえって好都合になるのである。

こんな安静は死期を早めるのみであり、
安静にしていないことよりも劣ることになるのである。

故に安静を要する病人は
まず第一に、「心を安静にする方法」を講ぜねばならない。
それには好きな音楽を聴くのもよい、
また読書をする、映画を見る等でもよい。

要するに病を忘れて
心を悩ませぬ方法を
講ずればよいのである。

しかし、それでも
消極的の心の安静であって、理想的ではない。

もっともっと積極的に病を駆逐し、撃退しうる
勇猛心を作る方法を
講ぜねばならないのである。

ある医学博士曰く
日本人は薬の好きな人間だ、
別に薬を与える必要のない病人でも
何か薬をください、
と要求して止まないから
仕方なしに薬を与えることが多いのだ。
と。

また、林医学博士は曰く
私はできるだけ薬は与えぬ方針である。
薬は誠に止むを得ざる場合にもちうべきものである。
人間の身体のためになる薬というのは
非常に少ないので、
薬には各々長所と短所があって、
長所から短所を差し引いて
その残りの小部分が
身体のためになるに過ぎないので
病気に効くところのものは胃を害し、
頭を鈍らせ栄養を悪くし
エネルギーを消耗せしむるものが多いのであって
積極的に身体に役立つ栄養素ではない、

薬はつまり毒物であって
その毒物の長所をよく働かせているその間に
病人自身をして栄養を回復せしめ
生理的官能を鞭撻して
普通の健康状態に復帰せしめるに過ぎないのである。

健康状態に復帰せしめる
生理的官能を鞭撻するものは精神である、
のである。

一にも薬、二にも薬で
精神療法を迷信視している人々は
右の各医科の言をよく味わうべきである。

医学博士小山田克己氏曰く
現代医学(1927年、昭和元年頃)の範囲は、
天然の療能を補助するに過ぎぬ、
今の医学は、外科的に属するある手術と
伝染病に対する一部分を除く
その他は依然治療医学は暗黒面である。

心理的治療を施す必要のある患者には
精神的の感化を与えなければならないことは
もちろんである。

我々の称する心理的治療というものは
霊妙なる精神的治療を指差すものだ、

そしてこの療法は、不可思議なる療法ではなく
一種の技術としての療法なることを
信ずる時期の一日も速やかならんことを切望する。

医学博士石川貞吉氏曰く
近年理学療法の進歩せるに際し、
精神療法をもってほとんど無意味のものとなすは
現代の最悪なる流幣なり。

以上述べた説明によって、
病を治す原動力となり主力となるものは、
患者その者にある、天然の療能即ち自然療能であって
薬やその他の人為的療法は
この自然の補助になるに過ぎぬことを
よく悟らねばならぬのである。

要するに大自然は
我々の生命を守護するために
完全な守護力を我々に授けてくれてあるが、
これに反して我々の生命を侵すもの
すなわち病等は絶対に授けないのである。
故に疾病は自然には発生しないのである。

結局疾病は知らず知らずのうちに
自然に理法に背いて
病人自身が製造したものである。

然してこの自製の疾病に
益々加工して大病にして
ついには死亡するのである。

神(大自然)は曰く
「お前は自分で病を製造して
然してその病で死んだのだ
=これ自らの死である。
病死これ自殺なり。
治りたい治りたいと言いながら
自ら死に近づきつつある人々よ。
一刻も早く神(大自然)が授けて置く
生命の守護力を悟れよ。
しからば
必ず幸福に浴せるものであるぞ」と。

病が薬や治療で治るなら、
医術も衛生法も驚くばかりに進化した現代(1927年、昭和元年頃)においては、
病人等は絶滅してもよかるべきに
なんとも不思議ではないか。

昔医師も病院も薬もなくまた、
衛生等にもかまわなかった時代には
病人も少なく、
人間の体格もよく長命であったのに反し、
現時は病人は多く、
体格は悪化し、
人名は短縮されたように、
矛盾も甚だしい現象ではないか。

物質文明が産んだ
科学迷信に囚われている病人は、
一時も早く
自然の霊妙なる威力に
めざめなくてはならない。

要するに我々は
この自然の守護作用の妨害さえしなければ、
病などにはならないはずであるし、
また病気になったりケガをした場合には、
この守護力の妨害さえしなければ、
自然に治るはずである。

つまり、自然の理法に従ってさえいれば、
万物の霊長として、
円満幸福に生存し得るはずである。

したがって、
病気や悪癖や災厄や不平不満ほか
あらゆる不幸不運に在る人は、
この大自然の理法に
違背している罰であることを
悟らねばならない。

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