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ごめんしか言えない。


「もう今はマンガを描くのをやめなさい!」

母が突然強い口調でわたしに言った。

「家のことも、子どものことも、何もかも中途半端やないの!」


思わず言葉に詰まる。


その通りだった。

子育てをしながら仕事をしていると、覚悟を試されるようなことが起きることがある。

それも、「今に限って」というやつだ。



「16歳で帰らなくなった弟」の書籍化が決まり、最後の締め切りで原稿が多忙を極めている頃、わたしの住む街はコロナは過去最高の感染者数を叩き出していた。


中1長女と小4次男が「怖くて学校に行けない」ということを理由に学校を休みたいといった時も、実際それぞれの学校に感染者が出たこともあって、学校を休ませた。

かといって、横に座って勉強をわたしが見るわけでもなく、「休んでも勉強をしなさいよ」という声がけだけでわたしはひたすら原稿に向かった。

その様子も、母はしばらく黙って見ていた。


ああどうしてこんなにバランスよく回していけないのか。


子どもたちの家での勉強など、1時間も持たない。

次男に至っては10分も持たない。

そこで無駄なきょうだい間の暇潰しによるケンカが始まり、

原稿を描く環境はさらにカオス化し、常にキョウダイゲンカの仲裁しながら

黙々と原稿を描いていた。


母は、その状況で、家事をそのままにしてわたしが保育の仕事に行くのも、

子どもが学校を休んでワーワー言っている中で

楽しそうに漫画を描いているのも納得がいかないのだ。(いや、仕事なんだけど)



「この1番後戻りできない多忙な時に何言ってんだ」といいたい言葉をごくりと飲み込んだ。

いかん。何も言い返してはならぬ。

この人に逆らうということは、わかっておろうなお主。

わたしの心の奥に住む侍がわたしを戒める。



「そうだった」とハッと思い直し、「すみません」と絞るように声を出した。


わたしは週3回の保育の仕事をしながら、漫画の原稿を同時進行でこの半年を走ってきた。

その間、非常事態宣言が終わっても、学校に行きたくない小4の次男の3時間目、4時間目からの登校にも何も言わず付き合ってきた。

でも保育と漫画と、子ども、全てを両立していくのには(ついでに家事も)もうわたしの中の許容範囲がオーバーしていた。

それを察した母が保育の仕事の日は、母が次男を学校に連れて行き、やり残した家事をそのままにしていったわたしの後始末も母が片付けてくれていた。


感謝はしてもしきれないが、反発だけはしてはならない。


母に甘えきっていたのもまた事実なのだ。

わたしは今までよりも起きる時間を早め、極力母の力を借りずにすむように家を回し始めた。

変わらなければならないのは自分だ。


そして仕事においても「16歳」をより深い内容にするために、母の協力は必須だった。

当時のわたしには、知らないことが多すぎた。

母の1番機嫌のいい時に、1番聞かれたくないであろう質問にも答えてもらわねばならない。


実際わたしは、書籍化するためにずいぶん母にぶしつけな質問をして、不機嫌にさせた。

けれども、人に読んでもらう作品は、自分の内部をえぐって描かないと人の深部には届かない。

上塗りだけの誰も傷つかない書き方は、自分はごまかせたつもりでも、読み手には全てお見通しなのだ。

だからわたしは、いつでも表現者として誠実でいたいと思っている。


でも、母にとっては不誠実極まりない娘に見えたに違いない。


家事も育児も中途半端で、思い出したくもない我が子の事故死のことを根掘り葉掘り聞かれ、突然書籍になると言い出した娘。


心の準備もお別れもままならないまま突然、我が子を亡くした悲しみは年単位でも簡単に癒せるものではないのに。


それでも母は、わたしに聞かれたこと全てを答えてくれた。


そんな母に何を言い返すことができようか。


そして日々怒られながらも無事、原稿を完成する運びとなった。


お母さん、ほんまにごめんね。

たくさん力を貸してくれてありがとう。


わたしがそう言うと、「ほんまやで!!!」というあきらめにも近い言葉が返ってきた。


そんなたくさんの方に力をいただいた書籍が10月22日、発売となります。


その時の様子や、書籍化が決まった時の母の言葉など、そちらも細かく描かせていただいたので、ぜひ書籍を手に取っていただけたら

嬉しいです!!!

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