見出し画像

帰属意識と自由

kazto

こんにちは。kaztoです。

今日、上司との1on1の中で、現在会社の経営層が会社組織への帰属意識を向上したい、という取り組みをしているという話を聞きました。

いろいろ施策について話をしたんですが、その中で「ユニフォームみたいなのも効果的なんだよね」と上司。それに対し、「昔、客先常駐のときにユニフォーム着てる客先だったんですけど、なんだか囚人みたいだな、と当時は感じました」と私。そっかー、やっぱ嫌いかー、とその話は終わりました。

その後、思いを巡らせまして。

唐突ですが、私はHeavy Metalが大好きでして、よくライヴに行きます。そこでは、各自が思い思いのメタTを着て、酒を飲んだり、モッシュピットを作ったり、クラウドサーフしたりして自由に楽しみます。

だけど、果たして本当に自由なのだろうか、と考えました。服装はもちろん本当に自由ですが、メタTはたいてい真っ黒です。むしろ真っ黒な集団を形成することに「俺たちメタルヘッズだぜ!」的な帰属心があったりします。ピアスやタトゥーなども一定の様式美のようなものがあります。そして、行動も自由とはいえ、モッシュピットやクラウドサーフにはそれを形成する集団の統率のようなものが必要だったりします。そして、メタルのライヴではUOを折ってヲタ芸をキメるような人間はいません。もしいたとしたら、「なんだこいつ?」みたいな排斥の気持ちをいだく方が多いでしょう。

自由を謳歌しているはずのメタルヘッズ、実はそうでもなかったのではないか?ある種のユニフォームで統一された帰属意識に陶酔していたのではないか?と思いいたりました。

一般的には、サッカーやラグビーなど、応援する際にはユニフォームを着て一体感を味わいますよね。アニソンのライヴなどは法被を着てコールアンドレスポンスで盛り上がったりします。

人類は思いのほか自由自由といいながらも、統一されることにもそんな嫌な気分はしてないのかも知れないな、と思いました。皆さんはいかがお考えでしょうか。



この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!