【小説】Dawn
2024年3月10日開催の『J.Garden55』で無料配布した短編BL小説です。
BLというには淡白かもですが、こういう空気感が好きなので…。
気に入っていただければ嬉しいです。
ときどきすごく不安になる。
生きるってなんだろう? 人生ってなんだろう? 僕はこれからどうなるんだろう? 考えたって絶対に結論の出ないことがぐるぐると頭を回って、行き着く先はいつも真っ黒な穴についてだ。
真っ黒な穴は真っ黒に僕を覗き込んで、じっと見つめているとその穴にふっと落ちていきそうになる。だから頑張ってそこから目を引き剥がして僕は天井を見つめる。部屋が暗いのが嫌だった。明かりが欲しくて枕元のスマホの画面をつけると四時の表示。愕然。
明日も……というかもうあと数時間後には学校だ。
もうすぐ中学二年生、受験のこともなんとなく見え始める時期だ。将来のことをちゃんと考えなさいと言われるけれど、僕にはやりたいこともなりたい自分も特にない。
思考がぐるぐる回っていく。寝返りを何度も打っても、眠気は全然訪れない。
空の色が変わり始めたのがカーテンの向こうに見える。急に僕はお腹が減っているとわかる。ずっと起きているから当たり前だ。一旦空腹を意識すると、それが気になってますます眠れなくなっていく。
何か食べたい。食べたい。食べたいなあ。
悶々と考えて、僕は結論を出した。
コンビニに行こう。
ベッドから出て、くたびれたシャツとスウェットパンツをユニクロで買った外着に着替える。
こんな時間に出かけるのは初めてだ。部屋の扉をこっそり開けると、母親と父親の呑気ないびきが聞こえてきた。大丈夫と自分に言い聞かせ、僕は家を出る。
時刻は五時十五分。
国道にもほとんど車は走っていない。歩道には誰もいない。大きくて広い空は少しずつ色を変えて、うす紫色へと向かっている。
この地方都市は人口減少が問題になっているとはいえ、朝にこんなに人が少ないとは思わなかった。
グラデーションの空を見上げる。
夜はどこまでが夜で、朝はどこからが朝なのだろう?
夜中に出歩いてはいけないと言われていたのだけれど、僕が出かけているこの時間は夜なのだろうか。朝だろうか。
家から一番近いコンビニはローソンだった。歩いて十分くらいかかる場所にある。
春が来て花粉が飛んでいるというニュースを見たけれどまだ随分寒い、朝だからかな、もっと暖かくしてくればよかった。空を見上げると、雲のない空が綺麗なグラデーションになっている。
コンビニは当然のように明かりがついていて、随分と眩しい。
金髪のコンビニ店員は、椅子に座ってくつろいでいるようだったが僕を見て普通に対応してくれた。いろんなことに興味がなさそうな顔をしていた。
ホットスナックはまだ陳列されていなかった。
早朝にはチキンもポテトも買えないことを僕は初めて知った。それがなんだか特別で嬉しかった。
仕方がないので甘いコーヒーとじゃがりこを買った。コーヒーなんて苦手だったけど今日は特別だ。大人だったらきっとこういうときにお酒を飲むんだろう。コーヒーなんて飲んだらきっと寝れなくなるだろうけど、もう今日は寝なくていいやと思った。
じゃがりこを食べてコーヒーを飲む。しょっぱくてあまくて苦い味。相変わらず車道にはほとんど車が走っていないくて、広い空は綺麗で世界には僕しかいない気持ちになってくる。
なんだかだんだん気分が高揚してきた。
僕は家に向かう方向から向きを変え、違う方向へ歩き出した。
この町には大きなショッピングモールがあって、土日は地元の人のほとんどがそこで時間を過ごす。この辺の時間潰しはそこしかないのだ。
開店までまだまだある。
きっとそこには誰もいない。
僕はそこに行こうと思った。
――なんでそんなことを思ったんだろう?
とにかく目的が決まれば、あとは向かうだけだ。僕の足は少し早歩きになって、まだ寒い空気をかき分けていく。
ショッピングモールが見えてきた。赤い大きな建物。入り口にはチェーンがかかっている。それが入っちゃいけないと言っているけど、そんなのは知るもんか。僕は大股でまたいで中に入る。
目の前に広がるのは、車がほとんどないだだ広い駐車場。
明けてくる朝の光が、水平に注いで視界に広がって眩しくて僕は無性に叫び出したくなる。
だから叫んだ。
「わぁああああぁっっ!」
ビニール袋を高く投げ捨てて僕は大声をあげて走った。ビニール袋が風に飛ばされるのが視界の端に見えた。
走る、叫ぶ、走る、走る。
呼吸で肺が軋んで全身が熱くて、寒いはずなのにすごく暑い。大きな声をこんな広いところで出したことなんてないからすごく不思議な感じがする。どこにも反響しなくて声は散っていく。楽しい!
ひとしきり走って楽しんで、――僕は建物の前に一つの人影を見つけた。
僕は、一転ゆっくりとそこに歩いていく。
警備員だろうかと思ったが、普通にコートを着ているので多分違う。
背丈は高くない。僕と同じくらいだ。
建物を見上げている。
その背中が、ゆっくりと振り返った。
見慣れた顔だった。クラスメイトの津野田だ。
僕は汗を垂らし、呼吸で上下に揺れる体で津野田を見た。
「おはよう」
僕を見ても驚きもしない。さっきまでばかみたいに叫んで汗をかいて走り回っていた僕を見ても、どうとも思ってないみたいな顔だ。
「なん、で」
お前がここにいるんだよ。
言いかけたけど、呼吸が苦しくて言葉が詰まった。
ここは、僕だけの場所なのに。
言いかけたけど、そんなことは全然なかった。あと数時間もすればここは人がいっぱい来て当たり前の顔をした普通のショッピングモールになるんだ。
でも、今だけは。
僕だけの場所だったはずなのに。
津野田と僕はただのクラスメイトだ。別に親しい訳でもない。津野田は勉強ができて、教師からも気に入られていた。優等生なのに真面目そうな感じでは全然なくて、みんなからも人気があった。
見た目も変に垢抜けてて、成績も良いから女子からの人気もすごく高い。いつも定期試験が返ってきても誰かに得意げに点数を披露することもなく成績の書かれた小さな短冊を鞄にしまっていた。そういうところがかっこいいと言っていたのを聞いたことがある。
でも、結局僕は津野田のことをよく知らない。
――だけど多分嫌いだった。
自分から積極的に近づかないようにしていたと思う。
だから、どうしてよりによってこいつなんだろうと思った。
「散歩?」
津野田が聞く。僕はぼんやり津野田を見つめ続けた。
「夜明けって、なんかいいよね」
そう言って笑った。
「無条件に自分が肯定されてる気分になる」
津野田の言うことはよくわからなかった。だけどもしかしたらさっきまでの僕の高揚もそれが理由なのかもしれない。
「俺も時々こうやってここに来るんだ。なんか、普段はいっぱい人がいるこの場所が自分だけのものになったみたいに思えてさ。まるで世界が俺のものみたいな気持ちになる」
僕と同じだった。
津野田も僕と同じ気持ちになるんだ。
津野田は沈黙する大きな建物を見上げた。
「馬鹿みたいに面積は広いのに人は全然いなくて山ばっかりで、なのに休日には同じところに集まって、他に行くとこなんてどこにもないんだ」
そうだ。
その通りだった。
津野田はそこで一拍置いた。そして言った。
「だから俺はここを出ていくんだ」
「え」
そこで初めて僕は声が出た。
「親と交渉した。一学期の中間と期末で全教科満点を取れば、俺はここを出ていける。東京に親戚がいるんだ。そこに下宿する」
東京。東京。その言葉が頭に響いた。
「それで向こうで進学するんだ」
津野田はきっとその条件を軽々クリアするだろう。そして東京に行くだろう。
そうか、そういうこともできるのか。そういう未来がありえるのか。
いつか自分が東京に行くのかもしれないと考えなかったわけじゃない。この町をあの家を出て東京に行く未来を考えなかったわけじゃない。だけどそれは全然実感がなくて、僕にそんな決断ができるわけもないと思っていた。だから僕はずっとここにいてここで歳をとってそのままここであの穴に落ちていくんだと思っていた。
僕はそのとき、そうじゃなくてもいいんだと初めて気がついた。
僕たちはここを出ていくこともできるし、出て行かないことだってできる。それは僕たちが決められるんだ。
「なんで泣いてんだよ、お前」
津野田が笑って(そうこいつはそこで初めて笑った)、僕は自分の頬をぬるいものが伝っていることに気がついた。え、あ、と言いながら腕で涙を拭う。
それはなんだか、まるきり救いみたいだった。
「初めて人に言った」
津野田は恥ずかしそうに笑った。
「誰にも言わないでおこうと思ってたんだけど、言っちゃったよ。みんなには秘密な」
人差し指を口の前で立てて、くしゃっと顔を歪めて津野田は笑った。
僕はこいつを嫌いだったんじゃないとわかった。
きっと僕は怖かったんだ。僕はずっと同じ場所に立っていたかった。それが楽で壊したくなかったから。津野田を見ていると、きっとそれが壊れそうだったから。
だけど、それはもう壊れてしまった。
だったら僕がするべきこと。
目的が決まれば、あとは向かうだけ。
「僕も、東京行く」
僕は言った。
「いつになるかわかんないけど、絶対行く」
言葉にすると、それがちゃんと未来につながった気がした。そうだ、そして僕は東京で津野田に会うんだ。
「そしたら、一緒にご飯食べよ」
津野田はぶっと吹き出して、
「何だよそれ」
僕を見た。僕も津野田を見た。視線がぶつかると津野田は微笑んだ。
「わかった、待ってる」
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