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短編小説『その日のコアラ』

目が覚めた時には遅かった。 あたりは一面火の海だった。どこにも逃げる場所があるとは思えなかった。

コアラのコビーはいつものように木の枝につかまって、ユーカリの葉を食べた後、うとうと眠っていた。

突然、同時多発的に起こった大規模な山火事。 何ヶ月にも渡って続いたこの山火事によって、多くの動物たちのいのち、人の命、住宅などが犠牲となった。 後に分かったことだが 5,000匹のコアラが犠牲になったと言う。

目を開けるのも痛いぐらいの炎の勢い。 コビーが捕まっている木の枝も、その炎と風によって大きく揺らいでいる。

「 逃げなきゃ!」 木を伝って降りる。

「辺り一面火の海だ。どっちに行けばいい?どっちだ?」

火の壁がどんどんコビーの方に迫ってくる。ある一箇所に緑のすき間を見つけたコビーは、そちらに向かって走り出した。 コアラは意外と足が速い。

道の行き先にさっきまでコビーの近くの木の上にいた、親子のコアラの子供のマーヤが座り込んで泣いていた。

「マーヤ! 逃げなきゃ!何やっているんだ!お母さんどこ?」

「 わかんない!お母さん、どこに行ったの?」

コビーはマーヤの手を引いて走りだそうとするが、マーヤは「お母さんどこ?」と繰り返すばかり。

火の壁はどんどん二人に迫ってくる。

コビーはマーヤの手を離すと、黙ってマーヤの元を走り去った。しばらくすると マーヤの絶叫が聞こえた。

一心不乱に走っていると、木の上のいたるところから声がした。

その中には聞き覚えのある、「コビー!コビー!」と呼ぶ声がした。

コビーは真っ直ぐ前だけを見て走り続けていた。

コビーの近くをワラビーたちやディンゴたちが通り過ぎて行った。みんな逃げるのに必死だ。

ウォンバットのトムを追い抜くと、コビーは「頑張れ、トム!」と声をかける。

コビーはこれまでこんなに走ったことは一度もなかった。もう死にそうだ。

「もう無理だ......」

コビーは近くにあったユーカリの木に飛びついた。

喉がカラカラで、本当に死にそうだったのだ。

火の壁はもうそこまで迫っている。頭の中でコビーは「もう自分は死ぬんだ......」と考えていた。

ユーカリの茂みの向こうに人間の姿が見えた。

人間はコアラに危害を加えない。コビーはそのことをよく知っていた。

以前、親友のバッジが大怪我をした時に、 しばらくして戻ってきて、「人間に助けられて、しばらくそこにいたんだ」と話してくれたことがあった。

コビーはその人間に向かって叫んだ。「 助けてくれ!助けてくれよ!」

その人間の男はコビーに気づき、火の壁をかき分けコビーに駆け寄ると、自分のジャケットを脱いでコビーを優しく包んでくれた。

火の壁はもうすぐそこまで迫っていた。

道路の脇に停められていた車に乗り込むと、コビーを連れてその男は火の壁を避けるように車を走らせた。

しばらく走るとコビーは動物保護センターに連れられてきていた。

あの炎の中で全身至る所に火傷を負ったコビーは瀕死の重傷だった。

コビーは薄れゆく意識の中で、優しそうに微笑む人間たちの顔と、「大丈夫だから、大丈夫だから」という声を聞いていた。

コビーの喉の中に冷たい水が入ってくる。

「 あーおいしい!美味しいなあ......」

コビーの瞳から涙が一滴こぼれ落ちた。

コビーはそれから一週間、生きるために戦った。

コアラ病院の職員はテレビ局のインタビューに答える。

私どもにとっては苦渋の決断でしたが、 安楽死という結果にいたりました......。

コビーは「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」と、木の下から呼ぶマーヤの声で目が覚めた。

緑豊かに茂る恵のユーカリの木々の中で、 コビーは今日も眠くなるまでお腹いっぱいユーカリの葉を食べ、 寝て起きたら、またお腹いっぱい食べるのだ。

そうして、たまにあくびをし、 緑の匂いを体いっぱいに感じるのだ。

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鯱寿典
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