短編小説 『風花(かざはな)の恋』
かざはなを きみによそえて みるからに みずなき空に 波ぞたちきる
私はあの人に恋をした。一目で恋に落ちた。
話をしたいと思った。ふれたいと思った。一緒にいたいと思った。
だから父さまにお願いしたの。私を人間にして、と。
父さまは、はっきりと言った。辛い思いをすることになる。それでもいいのか?
私はその言葉を聞いて、本当によく考え、悩み、やはり人間になることをやめようか、とも思った。
父さま、母さま、姉さま、弟や妹たちみんなと一緒にいられなくなるのか、と思うと悲しかった。
それでも、それでも...あの人と一緒にいたかった。そして、私はあの人の元へと向かったのだ。
*
「今週は何十年に一度かの大雪になるそうだ」
老人は少年にそう語りかけながら、雪のふりつもる舗道を家路へと急いでいました。
真白く降り積もる雪の中に埋もれた、一糸まとわぬ少女の姿を見つけた時に二人は言葉を失いました。
「大変だ! こんな寒い日に素っ裸で...事件か? 」二人は急いで駆けより、少女の脈を確かめます。
「まだ息がある......。通報するよりも早い」と、二人は近くの診療所に少女を連れて行きました。
「もう大丈夫だ! 」白髪混じりの髭を生やした老医者、花里太一は彼女の脈を見ながら二人にそう伝えます。
「いったいどのくらいの間、雪の中にいたのかわからないが、全く凍傷もないし、外傷もない。これはちょっと珍しいことだね」花里は「何故だろう?」と、考えあぐねていました。
「財布、身分証明、カードなど何も持っていないじゃないか。いったいどこの誰なんだよ? この少女は......?」
老人と少年の二人は顔を見合わせ首をふります。
「まあ、とりあえず、彼女の目が覚めるまで待つとするか。そうしたら何かわかるだろう。警察の方には私から連絡するから、お二人はもう帰ってもらって大丈夫だ」
老人と少年は花里医師に後のことはすべてまかせ、もうすっかり日も落ちた夕闇のなか家路へと急ぎました。
*
「初めまして。まず、乾杯しましょうか? 」パーティーの幹事の音頭で皆が盃を交わします。
「カンパーイ!」
会社の同僚の紹介で、今夜、風花(ふうか)は合コンに来ていました。
風花はあまり気のりはしませんでしたが、会社の同僚の美穂から「面子が揃わないから、お願い」と、どうしてもと頼まれて、仕方なく参加していたのです。
風花はこういう席はあまり好きではなく、どちらかと言うと、読書をしたり音楽を聴いて、独り部屋で過ごす方が好きでした。
外に遊びに出るのは、それほど好きではありません。
ただ、雪が降ると、無性に踊りたくなる変な癖がありました。自分でもなぜだかわかりません。
風花の正面に座っている青年がしつこく風花に話しかけています。
風花があまり好きなタイプの人ではなく、相槌を打つので精一杯でした。
合コンはあまり盛り上がらずに解散となり、同僚の美穂はお持ち帰りされて、一人の青年についていきます。
「風花、ありがとう。今日は」
美穂は、そう言い残すとその青年と共に夜の街へと消えて行きました。
駅に向かって歩いていた風花は、先ほどの合コンの中の一人の男にしつこく言いよられています。
「やめてください! お願い、手を離してください。貴方には興味がありません。放っておいてください。お願いします」
風花は、必死に断り続けています。
「冷たいこと言わないでよ。僕、君みたいな清楚な女性が大好きなんだ」
風花が男から逃れようと手を払うと、その勢いで雨に足を取られて転んでしまい、アスファルトに尻餅をついてしまいました。
かなりの間降り続いていた雨に、身に付けている洋服はあっという間に水をふくみ、その重みがからだに纏わりつきます。
「あーあ、おとなしく付き合ってくれれば、こんな目に合わずにすんだのに」
男は、さらに執拗に風花にいいよります。
すると、風花の後ろから怒鳴り声がしました。
「やめろよ、いい加減! 彼女は嫌がっているじゃないか。みっともないぞ、お前!」
風花がその声のする方を、からだを捻ってふりかえり、見上げると、一人の青年が風花に傘を差しかけて、怒りに震えています。
風花にとって、どこか懐かしいような、見覚えのある顔と声でした。
「うるさい! なんだお前?しゃしゃり出てくんな。あっちへ行け! 」男は、威嚇するように怒鳴り声を上げます。
「そういう訳にはいかないな。彼女は嫌がっているじゃないか」
そう言うと青年は、おびえる風花の顔をのぞき込み、
「迷惑なんですよね? そうでしょう?」と優しく声をかけました。
風花は、消え入るような声で、短く「はい」と頷きました。
「この野郎!」男が青年に襲いかかります。
風花はその勢いにおびえ下にうつむきました。
鈍い音がして、風花がおそるおそる顔を上げると、ストーカー男は、雨の中で仰向けになって、ピクリともせず路上に倒れていました。
「大丈夫ですか?」
雨の中、ずぶ濡れで座り込んでいた風花を抱き起こすと、青年はさしている傘を、
「ちょっと持っていて」
そう言うと、倒れている男のところまで行きます。
男を雨の中に座らせると、青年は男の背中をひざでグイッと押し込みました。
すると、ウッという声とともに男は息を吹き返し、青年の顔を見ると、ひぇーと、まるで漫画のような悲鳴を上げながら転がるように走り去って行きました。
風花のところまで戻ってくると、
「また、何かあるといけないので、タクシーでお宅まで送らせてください」もの静かな瞳で見つめています。
有無を言わせない、それでいて優しい物言いに、風花は何とも言えない安らぎを感じていました。
しかし、タクシーで家の前まで送ってもらったのに、名前も、連絡先も聞けずにお別れしていたのです。
風花は自分のその引っ込み思案な性格が昔から大嫌いでした。
*
「ごめん、勇気。待たせたね」
遠くから待ち合わせ場所に先に来ていた勇気を見つけると、風花は小走りに駆け寄ります。
「全然っ。たったいま来たところ」
本当は、かなり前から待っていた、ということを風花は知っていたのですが、気を使わせまいとする勇気のそんな優しいところが風花は大好きでした。
「ごめんね、勇気。わたし...いつも待たせてばかりで......」
「待っている時間も楽しいよ、風花」勇気の優しい笑みがこぼれます。
あの雨の日の出会いから半年が過ぎていました。
埠頭近くにある冷凍倉庫の受付事務をやっている風花と、大手食品会社の輸入食品部門で働く勇気には、意外な接点がありました。
輸入した冷凍食品は、一旦、冷凍倉庫に保管するのですが、かなりの量の在庫数が合わないトラブルがあった時に、調べに来た勇気と再会し、それからお付き合いが始まっていました。
*
十年前の真冬の晴天のある日、雪の精霊であるかざはなは、姉、弟妹たちと一緒にヒラリヒラリとその身を心地よい風にまかせて舞い踊っていました。
風花は、このように晴天の日が大好きで、そういう日によく姉妹たちと一緒に無邪気に遊びます。
この辺りで名の知れたキャンプ場で、風花たち姉妹が追いかけっ
こをしていると、一陣の悪戯な風が風花をさらっていきました。
そして、焚き火の中に風花が落ちようとしたその瞬間に、一人の少年が風花に手を差し伸べ、助けてくれたのです。
「雪さん、危ないところだったね。火の中に入ると、雪さん溶けて死んじゃうところだったね。さあ、危ないから早く向こうに行って」
そう言って、その少年が逃がしてくれたのです。その少年が勇気でした。
その時に風花が見た、勇気のやわらかな微笑み、瞳の奥底に宿る優しさに、風花は恋に落ちたのです。
*
医者の花里に救われた後、風花は人間の言葉など話せるわけもなく、返事もできませんでした。
そして、書類などの手続きのわずらわしさはありましたが、自らの妻と娘を早くに亡くし、それ以来独りでくらしていた老医者、花里太一の好意もあり、太一の養子ということで育てられ、言葉を覚え、地元の高校を卒業し、東京でひとりで暮らしていたのでした。
風花は、自分がむかし雪の精霊だったという記憶は、人間として生まれ変わった時に全て忘れ去っていたのです。
*
「じゃあ、風花行こうか?」
今日は勇気の両親に会う日でした。
「あーっ、緊張するぅ」
風花は、肩をすくめます。もう、朝からドキドキしっぱなしです。
「恐い人達じゃあないから、そんなに緊張しないで」
勇気は風花を落ち着かせようと、肩を抱きよせます。
「だって...嫌われたらどうしよう?」
「そんなことないよ、大丈夫!風花は気にしすぎだって」
勇気は、今にも泣き出しそうな風花を明るく励まします。
勇気の実家の玄関先で、風花は可笑しいくらいに緊張しています。
「は、はじめまして...風花です。よ、よろしくお願いします」
心なしか、からだもすこしだけ震えているようです。
勇気の母は、そんな風花を微笑ましく思いながら、温かい言葉をかけます。
「そんなに緊張しないでね。うちはそんなに由緒正しい家柄でもなんでもないから」
勇気の両親は本当に素晴らしい人達でした。風花はすぐに緊張が解けてあっという間に楽しい時は過ぎて、もう帰る時刻になりました。
「またおいでなさいね」
勇気の母は、そう風花を気づかいます。
勇気の実家を後にした風花は、ホッと、胸をなでおろしました。
「勇気のご両親たち、お会いしたら、全然怖い人たちなんかじゃなかった。すごーく、いい人たちだった。だから、勇気も優しいんだね」
勇気の実家からの帰り道、緊張から解き放たれた風花は、寄り添って歩く勇気の瞳を下から見つめながら、感謝を込めて伝えました。
風花は、本当に嬉しそうです。
「ありがとう。そう言ってくれて」勇気は照れくさそうに微笑みました。
*
今日、風花は、勇気を連れて故郷の育ての親、医者の太一の所へ結婚の報告のために向かっているところでした。
村に入る山道の入口では、折からの大雪で、車が何十台も立ち往生していて、大渋滞が起こっています。
風花と勇気はもう何時間もバスの中に閉じ込められていました。
「しょうがないね。こんな大雪じゃ」勇気が窓の外を眺めながら、その吹雪のすさまじさに目を細めています。
すると、突然、ものすごい音がして、風花たちがのったバスが雪崩に巻き込まれて崖を転落して行きました。
バスは谷底まで落ち、中では乗客たちやものが散乱していました。乗客たちは、割れた窓ガラスと雪の隙間から、這って抜け出そうとしています。
谷底に落ちたバスの中では人々の悲鳴が飛び交っています。
なんとか、バスから抜け出した風花は勇気の姿を探します。バスの外には見あたりません。
バスの中に勇気の姿がありました。
頭は血にまみれ、そのからだはピクリとも動いていません。どうやら、気を失っているようです。
動けるものは皆バスから外に避難しています。
すると、大きな音がしてまた雪崩が起きました。まっすぐ、バスの方に向かってきます。
このままではみんな雪崩に巻き込まれてしまいます。勇気も生き埋めになってしまいます。
その時ひとひらの雪が風花の肩に舞い降り声がしました。
「お姉ちゃん! 」
その瞬間、風花はなくしていた記憶の全てを思い出しました。
自分が何者であったのかを。そして、勇気を探しに人間界にやってきたことも。
「みんな、私に力を貸して!」
風花は両手を広げて、叫びます。
すると、風花の立っている目の前に白い雪の壁が出来上がっていきます。
その壁から声がします。「姉さま僕たちが守るから安心して!」
時間にして五分ほどだったでしょうか、雪崩が落ち着いた頃には、白い雪の壁、かざはなたちはどこかへ消えてました。
雪崩は見事にバスの両脇へと逸らされていました。
助かった乗客たちは、
「一人の女性が雪崩に立ちふさがり、その前に雪の壁ができて、雪崩を食い止めた。まるで夢物語のようだった」
と口々に語りました。
気を失っていた勇気は、その状況を見てはいませんでしたが、乗客のうちの一人がスマホでその動画を撮っていました。それを観ていたのです。
その映像は、瞬く間にSNS上に広まりました。
それは間違いなく風花で、彼女の前に白い壁が立ちはだかり雪崩を防いでいたのです。
勇気は、病室で風花を問いつめています。
「これ、君だよね? どういうことなの?」
「......」
「僕たち結婚するんだよね?隠しごとなんておたがいにないよね?教えてくれないか? どういうことなんだ!」
「ごめん、勇気。言いたくない」
「頼む、風花。教えてくれ!」
「どうしても聞きたいの? それを知れば、あなたはきっと、わたしを嫌いになる。それでも聞きたい?」
「君のことを嫌いになんかなるもんか。ただ、どういうことが知りたいんだ。それだけなんだよ」
「分かったわ......」
風花はそう言うと、自分は雪の精霊で、キャンプ場での事、それからずっと勇気を探していたこと、そしてやっと会えたこと、などをこと細かに伝えました。
勇気はまだ信じられないでいました。虚ろな瞳で風花を見つめています。
「じゃあ、君は本当に雪の精霊で、人間じゃないってことなのか?」言葉を絞り出すように問いかけます。
「嫌いになったでしょう? だって、わたし...元々は人間じゃないもの......」
勇気は明らかに動揺しています。
「けれども君は、いまは人間だよね。肉体があるじゃないか?」
「そう、いまは人間なの。そして人間と同じように生きて、人間と同じように死ぬことになる。わたし人間なのよ」
風花の奇跡の映像は、あっという間に世間に広まりました。彼女は一体何者だろう?と、詮索が始まり、その渦の中に二人は巻き込まれてしまいます。
あれほど二人の結婚に理解のあった勇気の両親でさえも、勇気からの説明を聞いた後は、別れた方がいいと言い出しました。
ワイドショーの報道、風花の自宅前での執拗な張り込みなどが連日行われました。
こうして風花と勇気は会えない日々が続き、それから、二週間が過ぎました。
そしてある日、風花の携帯に勇気からのメッセージが届きました。
「風花、ゴメン。君とはもう結婚はできない。本当にすまない」
あまりにも素っ気ない、勇気らしくない短かすぎる言葉でした。
風花は、胸が締めつけられるような痛みを感じていました。それでも、
「わかった。元気でね、勇気」
と、震える指で短く返信をし、その足で生まれ故郷へ帰っていきました。
風花は、お世話になった親代わりの医者の太一に、自分が思い出したすべての真実を告げました。
「ここで暮らせば良い」と言う太一の言葉にも、「もとの自分に戻ります」と、別れを惜しまれながらも一人、雪深い山奥へとその姿を消しました。
*
十年後。
風花と初めて会った想い出のキャンプ場に勇気は家族と一緒に訪れていました。
「あなた、こっちこっち。この子ったら好き嫌いばっかり言うのよ」バーベキューの食事を前に勇気の妻はふたりの一人娘に手を焼いています。
山々に囲まれたキャンプ場はたくさんの人々で賑わっていました。
真冬のよく晴れた太陽のやわらかな日差しの下、かざはな達がヒラリヒラリと、風に誘われて楽しそうに舞っています。
すると、一枚のかざはなが勇気のまわりをクルリと一周すると、
「勇気! 元気にしてる? 今、しあわせ?」
風花の優しいささやきが勇気のこころに響きました。
「風花......」
かざはなは、まるで空に波が立つように、楽しそうに風にゆられて舞い踊っていました。
*
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この作品は、以前投稿したものに加筆、修正したリメイク作品です。
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