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『おれ、カラス やまちゃんの初恋』

「やまちゃん、最近なんか面白いことあった?」

「うーん......あっ!そうだ。俺に石を投げつけてたあのくそガキ。俺たちに懲らしめられて、小便もらしたあいつ。覚えてる?はしちゃん」

「おーっ、あいつか。懐かしいね。あれは笑っちゃったね。で、あいつがどうしたの?」

「あれ以来、俺がよく行く公園に姿を見せなくなったんだけど、たまたま遊びに行った別の公園にいたんだよ」

「うん、それで?」

「それで、懐かしさのあまり、あいつに近づいて行って、元気か?って声をかけたんだよ。もちろん、カラス語で」

「それで、あいつは元気だよってカラス語で答えたとか?」

「んな、馬鹿なことあるわけないだろ。はしちゃん」

「そんなことがあったら、こっちがびっくりしてお漏らしするかも」
はしちゃんは両方の羽で下腹を押さえています。

「.......」
やまちゃんは呆れ顔です。

「ごめん、やまちゃん。それから?」

「うん、そしたらさ。あいつ、俺のことをじっと見るなり、顔を真っ青にして、『おかあさーん』って叫びながら逃げだしたんだよ」

「えっ!それってやまちゃんだって気づいたってこと?」

「んーっ、どうだろう?あれ以来カラスが怖くなったのか、それともやっぱり俺だって気づいたのかどうなのかは分かんないけど」

「まあ、なんにしても、あいつはもうほかのカラスたちをいじめたりはしないだろうよ。お灸の据え甲斐があったってもんだね」

「はしちゃんの人間の声真似、すごかったもんね。ありがとうね、あのときは」

「改まってそういわれると、照れるなぁ」

「それでね。そこに、今まで俺が見たこともないカラスがいたんだよ」

「へーっ、どんなカラス?」

「これっくらいの大きさでさ、お腹のところが白くて、広げた羽の先の方も白くてさ、尾羽が青みがかっていて長いんだ。あんな美しいカラス見たことない」
やまちゃんはちょっと興奮したように、身ぶり羽ぶりで説明します。

「ああ、そのカラス、俺知ってるよ。けど、おかしいな。そのカラスたちって、ここら辺にいるはずないんだけどな」

「え、どういうこと」

「やまちゃん、覚えてる?俺がしばらく地方の訛りがなかなか抜けなかったこと」

「えーっと、じゃっどとか、ですですーのやつ」

「それは、かるかんが有名なところ。それじゃなくて、いきなり団子が有名なところのやつ」

「俺、それ見たことも食ったこともないんだけど。それって本当に有名なの? 確か、ここからかなり離れたところだよね」

「そぎゃんたい」
はしちゃんは頷きながら、その土地で覚えた方言で答えます。「そうだよ」という意味です。

「はしちゃん、そんなのいらないから。それで、なんでここら辺にいるはずないの?」

「あのカラスたちはそこら辺一帯にしか住んでいないんだよ。しかも、珍しいことにその地方の方言を話さないんだ。俺たちと変わんない言葉を話すんだよ」

「へーっ、そうなんだ」

「うん、そだねー」

「はしちゃんっ!いいかげんにしてよ」

「テヘッ」

「だから、俺が今までに一度も見たことがなかったんだね」

「そこかしこにいる、やまちゃんや俺の仲間たちと違って、本当にその狭い地域にしか住んでいないからね」

「それでね、あんまり可愛いからさ、そっと近寄って声をかけたんだよ」

「おっ、やまちゃんにしては珍しいな。雌のカラスに自分から声をかけるなんて。このまえ、かなり可愛いカラスから『ねぇ、つがいにならない』って、申し込まれたときには、速攻で断ってたくせに」

やまちゃんは、仲間たちのなかでは、群を抜いていけてるカラスなのです。

「悪いけど、あのカラスとは可愛さのレベルが全然違うから」

「そんなに?まあ、確かに俺も初めてその姿を目にしたときには、彼女たちのあまりの美しさに、咥えていた虫を思わず口から落っことしちゃったもんね。分かるよ」

「それで、『こんにちは、初めまして。俺、やまです』っていったわけよ」

「はぁ、なにそれ?そんな硬い自己紹介してどうすんのよ」

「俺だって、自分でなにいってんだろ?と思ったけどさ。しょうがないだろ、彼女のあまりの美しさに気圧されたんだよ」

「まあ、しょうがないね。で、それで彼女はなんて?」

「彼女は軽くお辞儀をして、『こんにちは。初めまして、わたしサキです。わたしの仲間のカラスを見かけませんでしたか?』って訊いてきたんだよ」

「おおかた、つがいの旦那でも探してたんだろう?」

「そうじゃなくて、よくよく話を聞いたらさ、弟を探しにきたんだって」

「こんなに遠くまでかい?」

「なんでも、その弟というのが、狭い世界にもう飽き飽きした。都会に行く、って捨て台詞を吐いて、故郷を飛び出したらしいんだ」

「まぁ、とかく若者は、一度は都会に出てみたいもんだからね」

「その弟に都会の話をして聞かせたのが、流れ者の〈はし〉っていう名前のカラスらしい」

「なんだよ、俺と同じ名前じゃないか。どこにでもいるんだな、はしって名前のカラスは。要するに、そいつが余計なことをその彼女の弟に吹き込んだせいなんだろ?......! や、やまちゃん。彼女の名前はサキっていったっけ?」

「うん、そう。サキさんだけど」

「そ、それで、その弟の名前は、もしかしてカサ?」

「うん、そうだけど。なんではしちゃんが弟さんの名前を知ってるのよ?ま、まさか、はしちゃん?」

「その、まさかだよ。その流れ者のはしっていうカラスは、俺のことだよ」

「はしちゃんだったの?サキさんはすごく怒ってたよ。あいつのせいだって。今度会ったらただじゃおかないって、目がこんなに釣り上がってたよ」
やまちゃんは、右の羽先で目尻を持ち上げて、しかめっ面をしてみせます。

「あーっ、困ったな。どうしよう。初めてあのカラスたちに会ったとき、敵だと見なされて散々な目に合わされたから。からだは俺の方が大きいけどさ、あいつらのあの気性の荒さときたら......。ああ、思い出しても身の毛がよだつ」
はしちゃんはそのときのことを思い出したのか、首をすくめて震え上がっています。

「けど、誤解が解けてさ、それで最初に俺に近寄ってきて、珍しい魚をくれたのがカサだったんだよ」

「そうなんだ」

「俺がかなり離れた都会から来たんだっていったら、目を輝かせて、都会のことを根掘り葉掘り訊いてきたんだ。それで俺が知ってることを、余すことなくすべて教えてやったんだよ」

「若者には刺激の強い話だな」

「そのとき確かにカサは、『必ずはしさんの住む都会に行きますから、そのときは会いましょう』といってはいたけど、まさか本当に来るとは......」

はしちゃんは、若者の行動力に驚いています。そういう、はしちゃんも負けてはいません。
生まれてから、ほとんどこの街を出たことがないやまちゃんと比べると、はしちゃんはこれまでに日本中を旅していて、行ったことがないところは、沖縄だけです。

「なあ、やまちゃん。そのカサを俺たちで探してみようよ」

「いいけど、そのまえにサキさんを探さなきゃ」

「また会う約束とかしてないの?」

「だってサキさんは弟探しで忙しそうだったから、邪魔しちゃ悪いと思って。また会う約束なんかしてないよ」

「そんなところは奥手なんだね、やまちゃん」

ひとの場合でも、美男や美女には黙っていても異性がいい寄ってくるため、そういう人は、こと恋愛に関しては受け身のタイプが多いのと同じで、やまちゃんもあまり積極的にはなれないタイプのようです。

「とりあえず、サキに会ったっていうその公園に行ってみようよ」

二羽はその公園に来ています。

「はしちゃん、やっぱりいないや。彼女、別のところを探すっていってたから」
やまちゃんがそういって、諦めて帰ろうとした二羽のまえに、白と黒のツートンカラーのカラスが、特徴のある羽の残像を残して颯爽と舞い降りました。

「あなた、このまえ会ったやまさんですよね」

「あっ、サキさん」
やまちゃんは、またサキに会えて本当に嬉しそうです。

「あなたは......もしかして、はし!」
やまちゃんの隣にいるはしちゃんを見るサキのその目には、怒りの炎が燃えたぎっています。

「あんたのせいで弟はいなくなったんだ。どう責任を取ってくれるんだ」

『まあ、記憶力がいいこと。けど、はしって呼び捨てはないんじゃない?』とはしちゃんは苦笑いです。

「お久しぶり。弟さんのこと、やまちゃんから聞いたよ。本当に申し訳ない。これこのとおりだ」
はしちゃんは深々と頭を下げて、心の底からの謝罪の言葉を述べました。

正午過ぎの日曜日の公園で、おもいおもいにくつろぐ人びとは、三羽のカラスたちにチラッと目をやると、その一触即発の雰囲気を感じ取ったのか、『触らぬ神に祟りなし』とばかりにみんな素知らぬ顔です。

はしちゃんへの怒りを抑え切れないのか、サキのからだは小刻みに震えだしました。

「サキさん、落ち着いてください」
やまちゃんが見るに見かねて二羽のなかに割って入ります。

「はしちゃんは俺のマブダチなんだよ」

「そうなの?実はわたし、あなたと別れたあと、いろんなところを探してみたんだけど、見つからなくて。それで、どうしてもあなたに会わなければいけないような気がしたの。だからこの公園に戻ってきたのよ」

「そうなんだね。なんか、なるべくしてそうなったっていう、いわゆる運命ってやつかも」

やまちゃんの言葉に、『わたしもそんな気がする』と思わずいいそうになったサキは、あわててはしちゃんに向き直ります。

「はしさん、弟が行きそうな場所、どこか心当たりない?」

「うーん、かなりいろんなところにカサは興味を示していたからな。思い当たるところが多すぎて、探し出すのにはかなり骨が折れそうだけど」

はしちゃんが右の羽先を顎にあてて、考え込んでいると、やまちゃんが口を挟みました。

「サキさん。はしちゃんにも弟さんがこうなった責任の一端があるから、できれば俺たち、サキさんのお役に立てればと思うんだけど」

「それって、弟を探すのを手伝ってくれるってこと?」

「はい、もちろん。もし、サキさんがお嫌でなければだけど」

「ありがとう。すごく助かります」

女の身一つで、遥か九州の地からこの東京まで長旅をしてきたサキは、その美しいからだにも、よく見ると至るところに小さな汚れがついています。
休む暇なく弟を探して、飛び疲れているのが見て取れます。

「見てのとおり、この街は広い。しっかりと腰を落ち着けて弟さんを探さないと、そんなに簡単に見つかるもんじゃないから」





「日も暮れることだし、とりあえずからだを休めた方がいい」とやまちゃんからいわれたサキは、やまちゃんたちのねぐらに来ています。
大きな神社の境内の、古い大木の枝の上でした。

「こんな風にまともなねぐらで休むのは本当に久しぶり。どこで眠ろうとしても、わたし、よそ者でしょう。出て行けってすぐにいわれるから」

そういうと、サキはよほど疲れていたのでしょう。
あっという間に眠りにつきました。
他のカラスがサキにちょっかいを出さないように、やまちゃんとはしちゃんは、サキの両側に並んで眠っています。

美味しそうな匂いでサキが目覚めると、サキの目のまえにはご馳走が並べられていました。
朝早くから、やまちゃんとはしちゃんが交代で、あちこち飛び回ってサキのために用意したものでした。

「おはよう、サキさん」

「あ、おはよう。やまさん」

眠っているときに沈んでいたからだに力を入れて、起きあがろうとしたサキを気遣って、やまちゃんは羽で軽くそのからだを押さえつけます。

「まだ、そのままゆっくりしてて。食べたくなったら食べてね」
そう優しくいいます。

サキはその言葉に安心したのか、からだの力を抜くと、よっぽど疲れていたのでしょう、また深い眠りに落ちました。
その足はしっかりと枝をつかんでいます。

サキが再び目を覚ましたときには、すぐ近くの枝でやまちゃんとはしちゃんが、なにやら話し込んでいました。

「やまさん、はしさん」

サキに声をかけられたやまちゃんは、枝の上を飛び跳ねるように移動して、サキのとなりまでやって来ます。

「よく眠れたみたいだね。お腹も空いただろうから、まず、なにか食べてよ。サキさんがなにが好きなのかよく分からなかったから、とりあえずこれだけ揃えたから。慌てなくていいから、ゆっくり食べてね」

サキの目のまえには、さっきよりもかなり多くの食べ物が積まれています。
それらの食べ物を他のカラスに取られないように、やまちゃんたちは警戒しながら、知り合いのカラスたちから得た目撃情報を元に、カサの行きそうなところを話し合っていたのでした。

「じゃあ、出かけようか?」
サキの食事が終わったのを見計らって、やまちゃんは声をかけます。

「今日は、はしちゃんの頼りにならない記憶をたどって、カサが行きそうな場所へ行ってみよう」

「なんだよ、やまちゃん。頼りにならないって。俺まだ呆けてないからっ!」

二羽のやり取りを黙って聞いていたサキは、自分と弟もこんな風に一緒のときを過ごしていたな、と懐かしくなりました。


「ここが、この街で一番高いところだよ。素晴らしい眺めだろ」

三羽のカラスは、世界最高の高さを誇る自立鉄塔の上に来ています。

人間よりも数倍視力のいいカラスは、この高さからでも、下の道行く人びとの姿さえもはっきりと見えます。

「いくら目のいいわたしでも、近くにいれば別だけど、さすがにここから弟を探し出すのは難しいかも」

「まあ、そうかもね。けど、見渡す限りのこの景色のなかのどこかに、カサくんがいるのは間違いないよ。知り合いのカラスが、ここら辺で何度かサキさんによく似たカラスを見かけたっていっていたから、もしかしたらと思って」

「こんな景色は田舎にいたときは見たこともなかった。近くの都会にもこんな高いところないもの」

「やまちゃん、俺ちょっと怖いよ」

はしちゃんはあまり高いところが得意ではありません。いつもはせいぜい百メートルまでの高さしか飛ぶことがありません。

「そうか、こんな高いところまで来たのは久しぶりだよね、はしちゃん。サキさんは、高いところは大丈夫?」

「わたしは、大丈夫。わたしたちをたまに襲う大きな鳥の真似をして、かなり高くまで飛べるようになったから」

「へー、すごいね。どのくらい高くまで飛べるの」

「そうね。たぶんここよりも、もっともっと高くまでいけると思う」

「そんなに高くまで飛んで、いったいなにをするの?食べ物なんて影も形も見えなくなるのに」

「そうね......ただ気持ちいいからかな。はしさん」

「気持ちいい? 俺には絶対無理だな」

「いまさらだけど、はしさんってよくわたしの田舎までやってきたよね。いったいどれくらいかかったの?」

「あのときは、途中あちこちに寄ったし、かなりかかったと思うよ。俺はもともと他のカラスたちと上手く付き合えなくてさ。やまちゃんだけだよ、友だち付き合いしてくれるのは。それでいろんなところに行くようになったんだ」

「わたしは、お日さまがこれだけ沈むくらいかな」

そういってサキは、自分の足の指をクチバシで指して数えています。四回でした。
サキは九州から東京まで、わずか四日でたどり着いたのです。

「そりゃ、早いや。すごいね」

やまちゃんもはしちゃんも驚いています。

「わたしの場合は、初めからここだと分かっていたから、たいして迷うこともなく真っ直ぐここにたどり着けたの」

「ひとり旅だと怖い目にも遭ったんじゃない?」

「ええ、やまさん。けどわたしって、こう見えて結構気が強いから、途中ちょっかいを出してきたやつらは、逆にギャフンといわせてやったわ」

「見た目は本当に可愛いのにね」

「あら、お褒めの言葉ありがとう、やまさん」

「やまちゃんは昔から、可愛い子と気が強い女の子が大好きだから」

「そうなの?」

「うん......」

余計なことをいいやがって、とやまちゃんは、はしちゃんを睨んでいます。

「今度は、あっちの方へ行ってみようか?」

はしちゃんの提案に、三羽は鉄塔をあとにすると、近くのお寺を目指します。

サキのツートンカラーのからだは、雲一つない青空をキャンバスに、その飛行の軌跡を描いていきます。

三羽は五分ほどで、数多くの店が立ち並ぶ、大勢の人で賑わう通りに着きました。
上空を飛び続けながら見下ろしています。

「すごい人の数。それにいい匂いがする」

「ここには、いろんな食べ物が集まっているからね」

「さっき見えた、赤くて大きなあれってなに?」

「ああ、あれはこの場所の目印みたいなものさ」

サキは会話をしながらも、キョロキョロと辺りを見回しています。
やまちゃんも、はしちゃんも、見落とすまいと、目を皿のようにしてカサの姿を探しています。

「ここにはいないみたい」

落胆しているサキの耳に、子どもたちの大きな笑い声が飛び込んできました。

「子どもたちのはしゃぐ声が聞こえる。もしかしたら、そこにいるかもしれない。カサは子どもたちの笑い声がすごく好きだったから。あっちに行ってみましょうよ」

はしちゃんは、自分のなかでのカサの記憶をたどります。
そういえば、ひとりの子どもが、カサを見て近寄ってきて、笑みを浮かべて話しかけてきたことがあった、とカサが話していたことをはしちゃんは思い出しました。
カサはそのとき、その子どもとしばらくの間遊んでいた、ともいっていました。
たいていの人びとは、自分たちの姿をみて、カラスだと分かると追い払おうとするのに、その子どものカサに対する接し方に、何かしら温かいものを感じた、とカサはいっていたのです。

三羽は声のする方に向かって飛び続けます。
たくさんの子どもたちが、大きな笑い声を上げながら、イベントショーを楽しんでいました。
美味しそうな食べ物の匂いもします。

「ここもすごい人だかりだな」

やまちゃんがサキに話しかけたその瞬間でした。

「あっ!カサ」

サキは短くそういうと、ひと羽ばたきして颯爽とカサのまえに舞い降りました。

「カサ、探したよ」

「サキ姉さん?どうして、こんなところに」

カサは、思いもかけないところに現れた懐かしい姉のサキの姿に、驚き、そして涙ぐんでいます。

「よかった......会えて」

サキの目にも、いまにも溢れそうな涙が浮かんでいます。

「おい、カサ。久しぶりだな」

「あっ、はしさん。僕、はしさんに会いたくてずっと探していたんです。僕、ここには他に知り合いがいないから。けれど、みんなよそよそしくて、僕の話なんか全然聞いてくれなくて」

「すまなかったな。俺が余計なことをおまえに吹き込んでしまったために、おまえがこんなところまで来る羽目になってしまって」

「いいえ。ここに着いて最初の頃は、はしさんから聞いていたとおり、何もかもがすごく刺激的で、毎日がウキウキして楽しかったんです」

「まあ、若者には楽しいところには違いないからな」

「けれど、しばらく経つと、生まれ育った故郷の景色ばかりが脳裏に浮かんで......」

「だから、いったでしょう?故郷が一番だって」

サキの言葉にカサは静かに頷いています。

「姉さんのところにすぐに帰ろうと思ったんだ。けど、こちらに来るときは期待で胸が膨らんでいて、一刻も早く着きたいって思いで、あっという間にたどり着いたんだ。けど、いざ帰るとなると、遠いし、田舎のことを馬鹿にした自分の言葉を思い出すと、なかなか思い切れなくて」

「馬鹿ね。カサは、これからもわたしと一緒に暮らしていくの。あの故郷でね」

「うん、姉さん。ありがとう」

「よかったね、サキさん」
二羽の会話を黙って聞いていたやまちゃんが口を開きました。

「姉さん、こちらは?」

「やまさん。わたしと一緒にカサを探してくれてたの。はしさんのお友だちなんですって」

「初めまして、やまさん」

「初めまして、カサくん」

「やまさんたちには本当にお世話になったの。眠るところとか、食事の世話までしてくれたの」

「そうだったんですね。やまさん、はしさん、ありがとうございました」
カサは深々と頭を下げています。

「じゃあ、カサ。故郷へ帰ろうか」

「うん。姉さんが一緒だと心強いや」

今すぐにでも旅立ちそうな二羽に、あわててやまちゃんは声を上げます。

「サキさん。今からすぐに帰るの?」

やまちゃんはすごく寂しそうです。
それもそのはず、やまちゃんが人間の女性ではなく、同じカラスの仲間に恋心を抱いたのは、これが生まれて初めてだったからです。

「ええ、カサの気が変わらないうちにね」
そういって、カサにチクリと釘を刺します。

「そんなに、いじめないでよ。姉さん」
カサは小さい頃にサキから叱られたときのように、すっかりしょげ返っています。

「あと、一晩くらいゆっくりして帰った方が......」
やまちゃんはサキの顔色を伺っています。

「カサ、帰るのは明日でいい?」

「うん、僕は全然構わないよ。久しぶりに会えたはしさんとも話がしたいしさ」

「じゃあ、そうと決まれば、今日はお別れ会だ。サキさんには、まだいろんなところを紹介したいし」
やまちゃんは本当に嬉しそうです。

それから四羽は、日が暮れるまで、この都会でしか目にすることができない、いろいろなところを見て回りました。

やまちゃんとサキは、神社の大木の枝の上に並んでとまっています。
カサとはしちゃんは、やまちゃんたちの近くで、楽しそうになにやら話し込んでいます。

「やまさん、本当にお世話になりました。こうして、無事に弟のカサとも会えました。すべて、やまさんと、はしさんのおかげです。本当にありがとう」

「いえいえ。サキさんがカサくんと会えて本当によかった。元はといえば、はしちゃんの不用意な言葉のせいだったからね」

「いいえ。カサは昔からこんな暮らしはもう嫌だ、と何度もいっていたから。でも、これでもう大丈夫でしょう。一度、ここで暮らしてみて、故郷のかけがえのない素晴らしさに気づけたんだから」

「そうだね......」

やまちゃんは、思いきって話を切り出します。

「サキさんさえよかったら、俺と一緒にここで暮らさないか?」

サキは、すこし考え込んだあと、穏やかな口調でやまちゃんに答えました。

「ごめんなさい。わたし、都会ってどうも好きになれないの。わたし、きっとここでは暮らしていけない」

その言葉を聞いて、やまちゃんは俯きました。
そして、顔を上げると、きっぱりといいました。

「そうか.....残念だけど、ここでお別れだね。俺は他のところへ行くつもりはないから」

やまちゃんのつぶらな瞳は、その姿を忘れないようにと、サキを射ぬくようにじっと見つめています。

二羽はその夜、お互いのからだの重みを感じられるほど寄り添って眠りました。
それはやまちゃんにとって、決して忘れられない大切な思い出になりました。
そしてそれはサキにとっても同じことでした。

翌朝早くに、サキとカサは故郷へ向けて旅立ちました。

別れの言葉を口にして飛び去っていく二羽の姿を、いつまでも見送るやまちゃんの横顔を見つめながら、はしちゃんは、『これはやまちゃんの初恋だな』と微笑ましく思いました。
『悲しいだろうけど、俺がここにいるからさ』と羽でやまちゃんの左肩をグッと抱き寄せます。

「なにすんだよ!気持ち悪いな」

「なんだよ、俺がせっかくおまえを慰めようとしてるのに」
やまちゃんの思わぬ反応に、はしちゃんは面白くありません。

「なんだよそれ。俺がサキさんに失恋したとでも思っているのか?」

「えっ、そうじゃないの?」

「俺がフラれるわけないだろう?お互い住むところが違っただけだもん」
やまちゃんの精一杯の強がりです。

「ああ、そうですか。モテモテのやまちゃんが、フラれるなんてことあるわけないよな?」

「......」
やまちゃんは返す言葉もありません。

「そうだ。公園に行って、あの小僧をからかってやろうぜ」
やまちゃんは話をはぐらかすように、あの少年の話を持ち出します。

「いいね。久しぶりにあいつのお漏らしを見てやろうぜ」
はしちゃんも、これ幸いとばかりに悪ノリにつき合います。

可哀想なのは、噂のお漏らし小僧。
少年は、そんな運命が待っているとは夢にも思わず、よく晴れた秋空の下、最近買ってもらったばかりのスケートボードを小脇に抱え、いそいそといつもの公園に向かっていました。



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