短編小説 『ミステリーツアー』後編
そうこうしているとサイレンが鳴った。どうやらこのサイレンがエンジェルが放たれる合図みたいだ。
森の奥からエンジェルがのそりのそりと現れた。その姿を見てみんな息を呑んだ。さっきのエンジェルとは全く違うのだ。どちらかというと今回は重装備で、ナイフと言っても、さっきのナイフの何倍あるのだろう?というくらいの大きなナイフで、もはや短刀に近い。
「おいおい、勘弁してくれよ。あんなのと戦えるわけないじゃないか?」
さっきまで威勢の良かったマッチョも尻込みしている。そうこうしているうちにエンジェルはみんなの側まで迫ってきた。何人かの男たちが一斉に走り出した。自分たちの連れの女性たちを置きざりにして逃げだしたのだ。
「竜ちゃん!竜ちゃん、待ってよ」
女が追いかけようとすると、エンジェルがその女の髪を掴み、背中にナイフをズリュッと突き刺した。
「ギャーッ!」凄まじい悲鳴が砂浜に響き渡る。
倒れこんだ女に蹴りを加えて、エンジェルが別の女を襲う。背中を突き刺された女はそのまま砂浜に倒れた。赤い血の色に染まっていく女の白い肌。
逃げ惑う女たち。エンジェルは、巨体で重装備なのに足が異常に早い。あっという間に4人の女性が刺された。まだ生きているものも、呻き声を上げながら、のたうち回っているが、あの出血の量ではもう助からないだろう。
意を決して、ひとりの男がヌンチャクで勝負を挑む。
「アチャー、アチャチャーっ!」
エンジェルはビクともせず、そのヌンチャクを片手で難なく掴むと、男の腹に大きなナイフをズニュッと突き刺していった。
「助けてくれ!誰かーっ!」
砂浜に倒れこんだ男は、必死の形相で皆に助けを求めるが、みんなはそれどころじゃない、ただ、ただ逃げ惑う。
「誰があんなのやっつけられるんだよ。誰かやっつけろよっ!」
みんな尻込みして、遠巻きに見るだけだ。みんな後ろに下がる。ある程度の距離を保って見守るしかないような状態だ。仁美はその集団の後でことの成り行きを見ていたが、「もうこんなところにはいられない!」と、森の奥の方へ向かって走り出した。
後に残された10人ほどの男女は、逃げ惑いながらも応戦しようとしたが、遠目で見ると、次々にナイフの餌食になり、ただただ、白い砂浜を赤い血で染めていくのが見えた。
他の連中は、みんな散り散りに森の中へと逃げ込んで行った。刺されて砂浜に転がっている者以外、もう誰一人砂浜にとどまる者はいなかった。
仁美は、途中で一緒になった若い男と行動を共にしていた。彼も女を見捨てた奴だが、こんな状況の下、いったい誰が彼を責めることなどできるのだろう。緊急事態なのだ。
仁美たち二人が森の中に身を潜めてから、かなりの時間が経っていた。
辺りは、すっかり暗闇につつまれてる。
『最初にゲームがスタートしてから、何時間くらい経ったのだろう?時計がないので全く分からない。サイレンはあれから4回鳴った。もうすでに辺りは真っ暗闇た。8時間以上経っているのは間違いない』
仁美は、いろいろと考えをめぐらしていた。
「グググーッ」仁美のお腹の音がシーンと静まり返った森の中に響いた。
その音を聞いて、辺りに注意を払っていた男が、ポケットからチョコレートバーをだして封を切ると、仁美に半分すすめた。仁美は、「ありがとう」そう言うと、それをおそるおそる口の中に入れ味わった。
仁美は、こんな安物のチョコレートバーが美味しいと、今まで一度も感じたことがなかった。仁美はどちらかというと高級志向で、付き合っている良介も、お金持ちのボンボンだ。チョコレートなども有名なショコラティエが手がけたもの以外、ほとんど口にしたことが無かった。
仁美自身も有名大学卒で、一部上場の名の知れた、人も羨むような優良企業で働いていて、それなりに良いポジションに就いている。帰国子女の彼女は、英語、フランス語、中国語を巧みに操り、また日本の歴史文化にも造詣が深い。文句無しのエリート中のエリートだ。
最近、良介との結婚が間近に迫っていて、プロポーズもそろそろか?というところに来て、今回のミステリーツアーだった。
仁美の予想としては、このツアーの間にプロポーズをされるんじゃないかと思っていたのだが、事態は全く思わぬ方向へいってしまった。結婚どころか、ゲームを生き抜かなければいけない。おまけに相手の良介は既にもう死んでしまっている。
『こんな状況下なのに...不思議と涙も出てこない。良介は死んでしまったのに......』
仁美は思いのほか冷静な自分自身にすこしだけ驚いていた。
後ろから突然、エンジェルが出てきそうで、チェーンソーを持った映画のキャラクターが、どこかに潜んでいるような、そんな妄想もしていた。
島のあちらこちらから動物の声がする。一匹が鳴くと一匹が答えるみたいに、本当に不気味な空間だった。空を見上げれば、満天の星空というのはこのことを言うのだろう。本当に星が降ってくる様だった。都会に居ては見ることのできない極上の景色だ。
夏の暑さの中、なぜか仁美は少し肌寒さを感じていた。すると、それに気づいた連れの男が、自分のポロシャツを脱いで、「これを着るといい」と渡してくれた。仁美は、汗の匂いが少し気になったが、言われた通りに、それを着こんだ。思いの外暖かい。
仁美は、今までに起こったことを整理していた。飛行機に乗り込んで、目隠しをして連れてこられた所は砂浜だった。綺麗なところで、多分南国、季節は夏なんだろう。そして突然、ミステリーツアーの本ツアーという『サバイバルゲーム』が始まった。殺戮者、エンジェルが2時間に1体放たれて、次々と人びとを殺していった。
そのエンジェルを殺し続けて、明日まで、24時間生きのびなければならない。しかし、もうすでに半数までとはいかないまでも、かなりの数、殺されてしまったと思う。しかも、その死体はどこにもないのだ。一体いつ、誰が片付けたのか?
「もしかしたら...これは夢?」
仁美は頬っぺたをつねってみる。
「痛っ!」夢ではなかった。
夜の闇がだんだん深くなっていく。いつエンジェルが現れるか分からない。それとも...夜は寝ているんだろうか?お休みなんだろうか? 仁美はそんな変なことまで考えてしまう。
今にも死んでしまうかもしれない緊張感と、甘い現実逃避が相まって、仁美は自分で何をどうしたら良いものか途方に暮れていた。
「あそこに何かある」
連れの男はそう言うと、その方向へと歩きだした。仁美も彼について行く。
「人だ。人がいるぞ。逃げた人達かな?」
小ぶりな木造づくりの建物の、煌々と明かりがついた部屋の中で10人ほどの人達が談笑していた。
大騒ぎをしている。
「誰だ?あいつら。何をやっている?」
すると、突然暗闇からエンジェルが仁美の目の前に現れた。
「キャーッ」頭を抱えこんで、その場に座り込む仁美。
その刹那、アナウンスが流れた。
「はい、皆さんこれにて終了です。今の持ち場を離れてこちらの方まで大至急集まってくださーい」添乗員の声だった。
その声とほぼ同時に、仁美の目の前にいたエンジェルが仮面をとる。
中から出てきたのは良介だった。
良介は心配そうな面もちで、
「ごめんね...仁美。びっくりしたでしょう?」仁美の両肩にそっと両手をおいて、優しく仁美の顔をのぞきこんでいる。
「なになに、これ...何?何なの?」
いったい何が起こっているのか、仁美は事態を呑み込めないでいた。
すると、刺されて殺されていたはずの人々が血に染まった服のまま次から次へと仁美の前にぞろぞろと歩み出てきた。
血だらけのエンジェルの衣装を着た人たちも三人ほどいる。
「どういうこと、良介?どういうことなの?」
「ごめん、仁美......。最近、君を見ていて、なんていうか、仁美すごく悩んでいたでしょう?毎日がつまらなそうだった。僕はプロポーズをしようとタイミングを見計らっていたんだけれど、あんな状態じゃ無理だと思って、それで、今回のこのミステリーツアーを友達みんなと計画したんだ。すっかり騙されたみたいだね」
やっと仁美は状況が飲み込めた。
『そういうことだったのか。これはすべて良介が仕組んだサプライズだったのか』
安心と同時に何とも言いがたい気持ちが交差して、仁美の瞳からは涙がポロポロとこぼれ落ちた。
突然、明るいフォークダンスの音楽が流れてきて、仁美のまわりに集まっていた人びとが手を取り合って踊りだした。そのみんなが踊る輪の中心に、良介と仁美が押しやられるように立たされた。
「僕と結婚してください!」
良介は仁美の前で片膝をつき、指輪の箱を開いてプロポーズをする。
「はい......」
逃げ惑って泥だらけになった洋服と、青年から借りた汗臭いポロシャツを着たまま、仁美は短く答えた。
それからは死んでしまったはずの、血で汚れたボロボロの衣装を身にまとった人々と、エンジェルが入り乱れた婚約披露宴となった。
みんな飲み、食い、騒ぎ「あれが面白かった。お前のあれは最高だった」などと、お互いに健闘を讃え合い、その労をねぎらった。
仁美が気になっていたことを聞くと、良介は、細部に渡って教えてくれた。なかでも特に面白かったのが、死体がいつの間にか消えていたトリックだ。もちろん、皆が自力で仁美の前から隠れたのだが、そのタイミングを計るのと、走っての移動が大変だったらしく、隠れたあとは、ダッシュし過ぎで皆が同様に、水をガブ飲みして、しばらく口も聞けなかったという。
その夜は、みんな寝落ちするまで夜通し酔っぱらった。翌日バスが迎えに来て、今度は目隠しをすることもなく飛行機に乗り込み、空の旅も、機内でのお喋りも、みんな十分に味わった。
それから数日後、仁美が勤める会社のビルの二十五階の一室で、仁美はひとり物思いに耽っていた。
あんなことがあったせいだろうか、仁美は毎日が退屈で、退屈で仕方がなかった。あの時は本当に死ぬ思いもした。嘘だとわかった瞬間に押し寄せてきた生きていてよかったという実感。『これからの人生で、あれほどの快感を味わうことはもう二度とないだろう』
仁美はそう思うと、毎日が平凡過ぎて、良介と過ごす甘いはずの夜も、エリートの仲間、ライバルに囲まれて、人も羨む職場での刺激的なはずの仕事も、いまひとつパッとしないものに感じていた。
デスクの上に飾られた、あの婚約披露宴で撮った一枚の記念写真を見つめながら、間近に迫った良介との結婚を『どうしたものか......』仁美は考えあぐねていた。
突然、仁美の背後から大きな話声が聞こえてきた 。部長と若手社員だ。
「で...もう、プロポーズはしたのか?」
「いやまだなんですよ、サプライズプロポーズをしようと思っているんですけど、何かいいアイデアないですかね、部長?」
「そうだなあ......」
その会話を耳にした仁美は、ツカツカと二人に歩みよると、満面の笑みで、
「ねぇねぇ、ミステリーツアーはどうかな?」と、若手社員に話しかけた。
*
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この作品は、以前発表したものに加筆、修正を加えたリメイク作品です。
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