母国語と祈りと思春期

クリスチャンの中には、よく集まって祈っている人たちがいる。
祈祷会とか呼ばれる集会がある教会やキリスト教団体は多い。

クリスチャンは世界中にいるので、
ときに国際的な祈祷会、祈り合いということもある。
お互いに相手の言語が苦手の場合には、
ちょっと困ったことになる。
自分の言語では相手には祈っている内容が分からないし、
相手の言語だと、心から、思いを込めて祈るというのが難しい。

まあ、祈りは神にささげるものなので、
究極的には何語でもいいのだが、
そこに一緒に心を合わせている人がいる以上、
できれば、分かる言葉で祈りたい。

母国語の祈り。

そんな話をしていたら、
幼少期に多言語で育った子供の中に、
自分の母国語が定まらず、
思春期に苦労するということを聞いた。

自分の悩み、心の声を
何語で表したらいいのかわからず、
思いや考えがまとまらないのだという。

悩みや思いめぐらしは、母国語でする。
しかし、その母国語が定まらない。
心のもやもやが整理されない。

祈りというのもまた、
その人のもっとも中心的な、
もやもやを神さまに言い表すことなのか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?