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「介護時間」の光景

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家族介護者の独特の緊張感があった頃の、日常の小さな風景の違和感を書いています。それを、現在の「同じ日付けの日」の光景と合わせて、投稿するようにしています。
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2020年9月の記事一覧

「介護時間」の光景㉗「言葉」。9.24.

 もう19年も前のことで、昔の話で申し訳ないのですが、前半は、2001年9月24日のことです。(後半は、2020年9月24日のことを書きました)。  母が突然、会話も意志の疎通も難しくなり、入院し、回復し、また症状が悪化し、病院へ行っての繰り返しが、1年以上続いたあと、(リンクあり)私も心臓の発作を起こし、次は療養型の病院に入院してから、さらに1年がたつころでした。仕事は辞めざるを得なくなり、介護だけをしていました(リンクあり)。  毎日のように病院に通っていて、それは

「介護時間」の光景㉖「列」。9.19.

 個人的なことですが、1999年から、母親の介護を始めることになり、実家でみていたのですが、再び、症状が悪化し、病院に入院しました。ただ、そこでいろいろとあって、自分自身が心臓の発作も起こし、さらに、認知症専門の療養病院に転院することになりました。(リンクあり)  2000年8月30日に、病院を変わりました。  その日は、帰る時は夕方でした。いつもより、とても大きく熟れたトマトのようにやや崩れてみえた、とても赤い、沈んでいく太陽を見て、親を捨てた、という言葉が気持ちの中に浮

「介護時間」の光景㉕「火星」。9.9.

介護をしている時、先のことが見えずに、というよりも、毎日、同じ日が続くことに疲れも恐さもあって、本当に見えるものが限られていました。でも、振り返れば、周囲の小さな変化みたいなものに、今より敏感だったような気がします。 2003年9月9日 もう17年前の話になりますが、母親の入院する病院へ、毎日のように通う日々が続いていました。介護を始めて4年目、母親に病院に入ってもらって、そこへ「通い介護」(リンクあり)を始めてからは3年がたっていました。  自宅に帰ってからは

「介護時間」の光景㉔「コーン」と「雑草の庭」。9.2.

 毎回、古い話で申し訳ないのですが、今回の前半は2004年9月2日のことです。  母の介護を始め、いろいろあって、仕事もやめ、義母(妻の母)の介護も始まり、介護に専念することになってから、(リンクあり)5年くらいがたっていた頃です。  母には2000年から入院してもらい、そこに週に3日も4日も通っていました。「通い介護」(リンクあり)というような状況だったと思います。帰ってから、義母の介護をする生活が、4年くらい続いていて、少し慣れてきて、母の病院に通う回数を少し減らして