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「介護時間」の光景

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家族介護者の独特の緊張感があった頃の、日常の小さな風景の違和感を書いています。それを、現在の「同じ日付けの日」の光景と合わせて、投稿するようにしています。
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2020年8月の記事一覧

「介護時間」の光景㉓ 「アナウンス」と「おにぎりボックス」 8.27.

今から、17年前のことです。  古い話ですみませんが、母親が入院する病院へ毎日通っている頃です。「通い介護」(リンクあり)といっていい行為だったと思っています。家に帰ってきてからは、義母(妻の母)を、妻と一緒に介護をしていました。  仕事もやめ、介護だけに専念する生活になって、4年くらいがたっていました。  まったく先が見えないことは変わりがなかったのですが、ただ、今のことだけを考える癖がついてきたことで、不思議な余裕が出てきた頃だと思います。それは、母親の症状が

「介護時間」の光景㉒ 「境目」 8.21.

今回も前半は、昔の話になります。  15年前の8月21日のことです。  2005年当時は、片道2時間かけて、母親の入院する病院へ通っていました。  それは、2000年から続く「通い介護」でした。この年は、母親が、重い外科的な病気にもなって、手術を含めて、これからどうするのかを考え、実行しなければいけない頃でした。家に帰ったら、義母の介護も続けていましたが、日常的な焦りが強くなってきた頃だと思います。  2005年8月21日の、記録です。 「なんか、イライラしてい

「介護時間」の光景㉑ 「ブザー」と「音」 8.12.

 いつも読んでくださる方には、繰り返しになり、申し訳ないのですが、家族介護者の心理的支援を仕事としている越智誠と申します。臨床心理士/公認心理師として、「介護相談」を続けています。  ここに至るまでのことも、何度もお伝えして、すみませんが、私は、1999年から介護生活に入り、自分自身が心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、介護に専念した時間が10年くらいありました。母と義母を介護していたのですが、2007年に母を亡くし、家族介護者にこそ、心理的支援が必要だと思うようにな

「介護時間」の光景⑳ 「暑さ」 8.7.

 この『「介護時間」の光景』を読んでいただいている方には、何度も同じようなことを繰り返しお伝えすることになり、申し訳ないのですが、私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。  今回は、前回に引き続き、2002年、今から18年前の8月7日のことです。ずいぶんと、昔になりますが、母が入院する病院へ通っていた頃です。「通い介護」といっていいような時間が続いていました。 暑さ  行きのバスを降りると、もあああっと熱い空気の固まりが体にぶつかってきた。  何かの