マガジンのカバー画像

「介護時間」の光景

225
家族介護者の独特の緊張感があった頃の、日常の小さな風景の違和感を書いています。それを、現在の「同じ日付けの日」の光景と合わせて、投稿するようにしています。
運営しているクリエイター

2020年7月の記事一覧

「介護時間」の光景 ⑲「屋根」 7.30.

 いつも読んでいただいている方には、本当に繰り返しになり、申し訳ないのですが、私が介護に専念している頃のことです。  今から、18年も前のことで、母の入院する病院に、片道2時間かけて、週に3度も4度も通っていました。顔を見せなくなると、また症状が悪化するのではないか、といった薄い恐怖心に引きずられるように行っていました。帰ってきてから、義母の介護があるのですが、それでも、母親が入院して2年がたとうとしていて、やっと病院への信頼が出てきて、気持ちも少し楽になってきた頃です。

「介護時間」の光景⑱ 「赤」 7.24.

個人的なことですが、家族介護者として、仕事もやめ、ただ介護に専念していた時期がありました。  その時期は、今よりも、周囲の小さな違和感に対して、敏感だったようにも思います。  かなり前の話になり、申し訳ないのですが、今から19年前、母親の入院する病院へ「通い介護」をしていました。  やたらと、疲れていたような印象がありました。 赤 病院の外へ出ると、空には三日月があった。  その周りは雲で囲まれていて、雲の一部分が不自然なくらい赤くなっている。  少し雨が降ってい

「介護時間」の光景⑰「雑草」 7.18.

 毎回、同じような話で、申し訳ないのですが、今回の前半は、2002年、18年前のことです。  私は、母親と、妻の母親の両方に介護が必要になり、妻と二人で介護を始めました。途中で、私自身が心臓の発作を起こしたこともあって、母親には病院に入ってもらい、義母(妻の母)を家で介護する生活になったのが2000年の夏でした。  それから、2年がたち、やっと、この生活に慣れてきた頃だと思います。それでもずっと不安は、あるままでした。     (2002年の記録です。多少の加筆・修正を

「介護時間」の光景⑯  「オブジェ」 7.10.

 もうずいぶんと昔のことで、すみません。19年前のことですが、前回『「介護時間」の光景⑮ 「穴」2001.6.30.』から、10日後のことになります。母親の入院する病院へ「通い介護」をしている頃です。 オブジェ  いつものように東海道線の電車に乗っていた。  戸塚駅を出て、大船にもうすぐ着く。  この季節の山は本当に濃い緑で、電車が走って、山が見える角度が違っても一面、やっぱり緑だった。  その電車が動いて、風景も動いていく中で、山の上に白く大きな物体が見えてきた。  大