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「介護時間」の光景

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家族介護者の独特の緊張感があった頃の、日常の小さな風景の違和感を書いています。それを、現在の「同じ日付けの日」の光景と合わせて、投稿するようにしています。
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2020年5月の記事一覧

「介護時間」の光景⑪ 「晴天」 5.30

 昔ですみませんが、16年前の話です。  母に介護が必要になり、いろいろあって、母親に病院に入院してもらい、それからも、症状が悪くなり、意志が通じなくなり、私は病院に通い続けて、また話ができるようになったり、を繰り返しながら、4年がたって、かなり安定したのが、この頃でした。  もしかしたら、そんなに毎日通わなくても大丈夫かもしれない、と思い始めて、ちょっと余裕が出てきた頃で、そんな気持ちが反映するように、毎日のように見ていた光景が、違うものに見えたりしたようです。   (

「介護時間」の光景⑩ 「送迎バス」 5.24

 いつも読んでいただいている方には、繰り返しになり、申し訳ないのですが、19年前には、私は介護に専念していました。  1999年から、急に母親に介護が必要になり、その途中で私は心臓の発作を起こし、これ以上無理すると死にます、と医師に言われたこともあって、2000年の夏に、母親に病院に入ってもらいました。それでも、母親の症状が悪くなるのが怖くて、病院に毎日のように通っていました。家に帰ってからは、義母の介護をしていました。  そこから時間がたち、2001年の春になっても、そ

「介護時間」の光景⑨「横断歩道」5.14

 すでに18年前ですから、遠い過去になっていますが、その頃、私は母が入院する病院に通う毎日でした。母親に介護が必要になり、私自身が心臓発作を起こしたこともあり、病院に入ってもらい、そこに毎日のように通っていました。  それでも、2年くらいは、ずっとうつむき加減のままで、周りもあまり見えていなかったと思います。 (その頃の詳細は、ここをクリックすると読んでいただけます)。  病院に通い、疲れて帰ってきて、義母の介護をする、という単調な毎日でしたが、その中で、周囲の微妙な違

「介護時間」の光景⑧ 「あかり」 5.6

 唐突で、さらに個人的なことで、申し訳ないのですが、17年前の同じ日は、母が入院する病院に通っていました。  1999年から、母に介護が必要になり、その途中で、私自身が心臓の発作を起こしてしまいました。これ以上無理すると死にますよ、と循環器の医師に言われたせいもあり、母には、病院に入ってもらっていました。  そこへ、毎日のように通っていました。 (当時の詳細は、もしよろしければ、ここをクリックして、読んでいたければ、わかりやすいと思います)  病院に入院してもらった頃は