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「介護時間」の光景

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家族介護者の独特の緊張感があった頃の、日常の小さな風景の違和感を書いています。それを、現在の「同じ日付けの日」の光景と合わせて、投稿するようにしています。
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2020年4月の記事一覧

「介護時間」の光景⑦ 「空」と「生々しい」4.30

個人的なことですが、今から19年前は、母親が入院している病院に通う毎日でした。  母親に急に介護が必要になり、その後、私自身が心臓の発作を起こしたこともあり、母に病院に入ってもらったのが、この前年の2000年のことでした。それなのに、ただ放っておいたら、症状が悪くなってしまうのではないか、と恐さにひきずられるようにして、片道2時間かけて、毎日のように通っていました。帰ってきてから、義母(妻の母親)の介護の補助をしていました。  仕事もやめていましたから、ただ、それだけ

「介護時間」の光景⑥JOINUS  4.24

 今から13年前の4月24日も、今とは違う種類の不安の中にいました。  介護に専念していた頃でした。病院に通って、母の様子を見て、帰ってきてから、義母の介護をするという毎日が7年ほど続いていました。  その頃は、それだけのことなのに、やたらと疲れていました。  特に、病院に通うという行為は、なぜかエネルギーを吸い取られるような感覚がありました。  しかも、この頃の母は体調が悪くなっていました。ガンが進行し、手術もできなくなっていて、不安が日に日に膨らんでいて、でも、少し

「介護時間」の光景⑤ こいのぼり  4.19

 今から18年前の4月19日も晴れていたと思います。  個人的なことですが、介護に専念していた時期がありました。  とはいっても、イメージ通りの「介護」ではなく、病院に通って、母の様子を見て、帰ってきてから、義母の介護をするという毎日が7年ほど続いていました。  その頃は、それだけのことなのに、やたらと疲れていました。  特に、病院に通うという行為は、なぜかエネルギーを吸い取られるような感覚がありました。それでも、病院に行かないと、母の症状が悪化してしまうのではないか、と

「介護時間」の光景④「林」と「紙」    4.15

 今から13年前の日のことです。  1999年から、2007年まで、母と義母(妻の母親)の2人を、妻と一緒に介護していました。その頃は、母の入院する病院に毎日のように通い、帰ってきてから、義母の介護をする、という毎日でした。やたらと疲れて、気持ちも追い込まれて、病院と自宅以外の世界がないかのように思っていました。  ただ、その単調な繰り返しの時間の中で、日常の小さな風景の変化に、今よりもはるかに敏感になっていたと思います。それは、家族介護者の独特の緊張感があってこそだと

「介護時間」の光景③ バス停

19年前の今日(4月9日)、見た光景がありました。 その頃、私は病院に通い続けていました。  母に入院してもらったのは、その前年の2000年の夏でした。クルマで、やっとの思いで連れていき、帰りにやたらと大きく赤く、熟しすぎて崩れそうな果物のような夕日をみて、誰にも言われていないのに「親をすてた」という言葉が頭の中に浮かんでいました。    それから1年くらいたっても、片道2時間くらいかけて、毎日のように、ただ病院に通い続けていました。海沿いの街の最寄駅に降りて、そこ

『「介護時間」の光景』②しばらくお待ち下さい

もうかなり昔のことです。 17年前の、今日(4月4日)と同じ日に、その日、見て、メモを残した光景がありました。  この頃は、片道2時間かけて、病院に通い続けて、母の様子を見て、(それは私自身にとっては疲労感からいっても介護だと思うのですが)、病院から帰ってきてから、義母の介護をする、という毎日でした。ただ、入院してから3年目で、母の様子は安定していたので、ちょっとだけ緊張が緩んでいた頃だと思います。 (なお、私の経歴など、詳細は、note 「介護離職して、10年以上介護