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理知を継ぐ者(40) 「知らない」と「教えない」③

 こんばんは、カズノです。

【誰も守らない】

 自分の思いなり考えなりを、真面目に、他人に向けて話すのは勇気がいるものです。それが大企業への意見で、反論も覚悟の物言いならなおさらです。今回の高校生たちの記事、あんなに緊迫感に満ちた言葉があるでしょうか。
 おまけにその記事はいくつも瑕疵を抱えています。近過去の歴史的事実がまったく踏まえられていない、つまり通じる相手が限定されている。中心的な話題も大人に教えられたことの切り貼りで、自立的な説得性を持っていない。文はおおむねカタチになっているとしても(これは及第点をとれていると思いますが、それでも)、他人への礼儀を欠いている箇所はあります。
 挙げていくときりがありませんが、個人の発する意見書としては弱く、もろい言葉です。
 なんで誰も守ろうとしないんでしょうか?

 彼女たちを援護する言葉はどれも、
「フェミニズム理論から言えば…」
「ジェンダー論の現在形からして…」
「社会ウォッチングの立場からいうと…」
 とかそんなのばっかで、「いや、そういうことじゃなくないか?」て思いません?

「子どもだって人間だ、対等だし平等だ」とするならそれは構いませんが、こんなに弱くもろい言葉しか使えない人間を、誰も守ろうとしない社会って異常だとおれは思いますけどね。
 何も知らせない、何も教えない、それでどうやって高校生たちはこれから、自分の身を守ることができるんでしょう?

【理知を継ぐ者】

 おれは今回の騒動で、その高校生たちはいい経験をしたろうと思ってます。
 署名運動は失敗に終わったし、反対意見も多く、おまけにそれらは報道までされました。さぞびびったろうし、寝れなくなったりとかあったかも知れないし、逆に、絶頂に達するようなムッとくる感覚も経験できたんじゃないかと思います。こういう体験はいいですよね。とくに若いうちには。
 話したように、意見書じたいはさんざんですけど、それも併せて、こういう失敗の仕方はいいと思います。対面での署名活動なら一層強い学習をしたはずですが(そこが惜しいといえば惜しいところですが、それでも)とても上手い失敗の仕方を高校生たちはしている。

 人権思想は、人間にはいろいろな自由があると話しています。「表現の自由」とか「信教の自由」とか、「幸福追求権」とか、まあそういういろいろです。
 けど「人間」を対象にするなら、おれは、「間違える自由」もこの生物にはあると思っています。「間違える自由」「失敗する自由」もたぶん「人間」にはあるということです。
 そしてきっと、この自由を持っているのは、とくには若い人です。というより、歳をとってしまうと、あんまりこの自由は使わせてもらえません。まあもっと歳をとれば、また別なのかも知れませんが。

 高校生たちは、これを機会に、「大人なんて信用できない。もう自分たちでやってくしかない」と思ってくれるといいなと思います。
「なんだあ、あの授業って、フェミニズムにとって都合の悪い歴史をぜんぶ抜かしたもんやったんや。アカデミーから見たらそうだってだけで、世間的にはぜんっぜん違うんや。そういえば、うちらの記事に反対する人も賛成する人もみんな的外れだし、今の大人の言うことなんて信じないほうがええやん」と。そう思ってほしいですけどね、おれはね。
 大人はそういう「ずる」をするものです。そういう「大人のずるさ」を見抜けなくなったら、この社会の子どもももうダメでしょう。

 *

『負け犬の遠吠え』がなぜウケたか分かるでしょうか。つまり当時の読み手は、その本の何に共感し、自分を「負け犬」と認めたのでしょう。彼女たちは「恋愛→結婚→家を選んだ女性」に負けたのじゃありません。
 彼女たちは、「女だって自立→仕事→社会進出」と希望しながら、いつのまにかその志を失い、だらだらオシゴトしてぶらぶら遊んでるだけの自分がわびしかったんですよね。そこを『負け犬の遠吠え』は見事に突いてきた。
 つまり彼女たちは、「若い頃の自分に負けた」んです。18歳とかそれくらいの、将来への希望を胸に抱いていた頃の自分に負けた。18歳の自分が今の自分を見たら、「ぜったいああいう風にはなりたくない」と言われるに決まってるからです。
 でもそんな人生を認めたくないから、「勝ち犬」という仮想敵を作って、自意識の不様を責任転嫁したという、あの本の実際とはそういうものです。
 そうならないようにしましょう。
 ただし、この「彼女たち」に酒井順子は入りません。目指すなら酒井のような、他人のための話ができる人を目標にしましょう。



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