理知を継ぐ者(39) 「知らない」と「教えない」②
こんばんは、カズノです。
【フェミニズム盛衰】
ざっとになりますが、日本のフェミニスト/フェミニズム思想/フェミニズム的思潮の流れはこうです。
①70年代末:ウーマンリブの流れをくんだフェミニズムが徐々に認知されるようになる
②80年代:爆発的に盛り上がる。ここで女性は「恋愛→結婚→家に入るなんて古い、これからのオンナは自立だ仕事だ!」になる
③90年代前半:急速に下火になる。女性は「恋愛→結婚→家」をまた選ぶようになる
④90年代中盤以降:フェミニスト/フェミニズム/フェミな思潮はほぼ見かけなくなる
⑤2000年代:やはりほぼ見かけない。酒井『負け犬』の出版が2003年
⑥2010年代:途中からまた盛り上がる。今に至る
もちろん、これは世間的な流れなだけで、アカデミー界隈ではフェミニストはずっといましたし、だからフェミニズムや女性学、その後進のフェンダー論までちゃんと流れがありました。
ただ、たぶんそれもあってのことでしょうけれど、ここ最近のフェミニストは「70年代から積み上げ、今日の達成に至っているのがフェミニズムなのです。連綿と続いた歴史があるのです」といったことを、さも一般的事実かのように話すものです。でもそれは間違いです。(ウーマンリブやサフラジェットまで遡るならもっと間違いです)。
少なくとも世間的なフェミニズム思想/フェミニズム的思潮はいちど終わっています。その思想/思潮からおりた女性が途中で大勢いて、そこでフェミニズムは「ふりだしに戻る」になってるんです。
もちろん単に「ふりだし」に戻ったのじゃなく、「80年代フェミニズム・ブーム以降に独特な、ふりだしが再設定された」というものですけどね。そこで世の女性は「恋愛→結婚→家庭」をもういちど選んだけれど、選んだ「恋愛」「結婚」「家庭」は80年代フェミニズム・ブーム以前のそれとは性質が違っていたということです。
そこらへんの詳細はこの連載では省きますが、日本ではフェミニズムはいっぺん終わってる、べつに連綿とは続いていない、これが正解です。フェミニストが「世間一般」も含めてその歴史を語るとしたら、「私たちの思想・思潮は、いったん支持を受けたあとに、でも捨てられました。ほとんど忘れられてた時期がありました」と話さないと正史にならないということです。
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さて、その「フェミニズムがいちど終わった時期」「フェミニズムが忘れられていた時期」の女性から生まれたのが、今度の抗議の高校生たちです。
もちろんけして、彼女たちの母親を、「自立自立から一転して、恋愛・結婚・家を選んだ女性」だと名指ししているわけではありません。これまでの話は、あくまで世間一般の傾向でしかありません。だからべつに高校生たちに、「まずは自分の母親を批判しろ」とか、「署名より前に家族会議か学級会を開いたらどうか」とか、イヤミを言うつもりはありません。
おれが話したいのは──年長者として高校生たちに伝えたいのは、「日本でも、一度、あなたたちの希望するような、社会が『女性=家・家事』を押しつけない、女性も男性のように働いていけるような考え方がおおいに支持された時期があった」ということです。
けれど、「その後、本人から、もういちど『恋愛→結婚→家』を選ぶ女性たちが大勢いた。なので支持は取り消された」ということです。
そして、「それはそれで日本女性たちの主体的な選択だった」ということです。
もちろん高校生たちは、そんな母親たち──自分や友達の母親たちの過去の選択を受け入れてくれると思います。高校生たちが求めているのは「一人ひとりが輝ける社会」なのだから、主体的に女性=家・家事を選んでるなら問題はないはずだからです。
けれど、そのような女性から「あのひとはオンナとして負けている」という視線もあったんですね。いえ、それが酒井の被害妄想だとしても、そのような妄想が十分にリアルだと受けとめられた本が確かにあったんです。
・社会に出て仕事をし、30すぎで未婚で子どももいないオンナは「負け犬」
・恋愛から結婚を選び家庭に入り、子をなしたオンナが「勝ち犬」
この定義を「Yes」とする女性が大勢いた。
そしてそれは一時的な新商品のブームではなく、連綿と続いている日本の歴史の上にきちんとあったということです。むしろ一時的な新商品だったのは80年代のフェミニズム・ブームのほうでした。
【何も教えない、何も知らない】
おれが気になるのは、フェミニズムに限らず、こういう近過去の世情/歴史が、まったく次世代に受け継がれていないことです。大人がそれを教えていない。ほんの少し前の世の中/歴史を学ぶ環境が、今の日本社会にはない。
そうして子どもたちは無知をさらしている。
かわいそうだと思いません?
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