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理知を継ぐ者(43) 歴史とは③

 こんばんは、カズノです。

【歴史を無化するもの】

 90年代だったと思いますが、和装シーンに波風が立ちました。例えば、和服を着ながら足元はブーツや運動靴みたいなファッションが出てきました。西洋風のワンピースの上に西陣とかの派手な打ち掛けを羽織るとか、そういうのもありました。浴衣に西洋風の色合いや模様を施すとか、和装なのにアクセサリーを付けるとか、そういう文化が出始めます。ちなみに和装でアクセサリーは厳禁です。生地を傷めるからです。「色」にも洋風と和風の違いがちゃんとあります。
 もちろんそれまでも、明治大正の「はいからさん」のように、袴姿の女学生が西洋の靴を履くことはありました。でもあれは、「西洋文化を取り入れた新しい時代、袴をはいて活発に動きまわるような『女学生』にとって、そのほうが機能的だったから」というもので、「ファッション」だったわけではありません。もちろんなでしこリーグの選手が「せっかく履くならピンクのシューズがいいなあ」と思うように、装飾性も求められたでしょうが、根にあるのはなでしこ同様、シューズとしての機能性です。袴にブーツが「ファッション」になったのは、女性の多くも大学・短大に通うようになり「卒業式で袴をはく」女子学生が生まれた時代のことです。
 話を戻して、90年代に出始めたそういった和服の着こなしに、和装シーンはどよめきました。そもそも和服には着付けの決まりがありますから、そのルールを破るなど御法度だからです。いえ実際、そういった「ファッション」が現われる徴候は以前からあったのですが、ですので和服に馴染んだ人からすると、「…もはやここまで来たか」という落胆のため息がどっと出たということですね。

「べつにそんなのいいじゃん、本人が着たいように着れば」とか「伝統が個人を抑圧するのだ」「慣習のせいで自分らしさが蔑ろにされるのだ」とか、今風にいえばそういう話ですが、まあどっちが正しいのかは分かりません。分かるのは、「個人主義は歴史を無化する」ということですね。それから「思想は歴史を無化する」「経済は歴史を無化する」というのもそうでしょう。

【歴史のもろさ】

 日本の和装/キモノの原型ができたのは平安期とされていますが、つまり千年の歴史を経て今の形に落ち着いたものですが、「いいじゃんいいじゃん、こっちのがかわいんだから!」で、その千年は終わります。千年かかって辿り着いた洗練が、「いいじゃんいいじゃん」の一時的な興奮だけで全部無くなってしまう、それはそれで歴史だということです。というより、それほど歴史とはもろいものだということです。
 そして、この「いいじゃんいいじゃん、こっちのがかわいんだから!」を生んだのは、もちろん「個人の意思を尊重する」の民主思想・人権思想だし、それに便乗している経済です(この話はもっとあとでしますが、要するに「今はそういうファッションが流行ってんだからそれに合わせたモノを売ろう売ろう。和服の伝統なんか知らないよ」という考え方をするのが経済です)。
 箸の持ち方が下手で、そのせいでぼろぼろ食べ物をこぼし、服も部屋も汚れても、「いいじゃんいいじゃん、食べれりゃ」で、箸の持ち方の歴史は終わります。
 昨今の風潮に後押しされ、「フェミニズムは70年代から連綿と続いている、女性の苦難の歴史の上にあるのです」と言ってしまえば、それまでの過去はぜんぶ無いことになるのと、これは同じです。

 なお念のため、おれはべつに「千年の歴史を持つものを一瞬で崩す主義や思想はよくない」と言っているのではありません。
 そもそも「歴史や伝統は大切にしなければいけない」という歴史観じたいが、学校から刷り込まれているだけのものです。なので「あなたは千年の歴史を一瞬で無化しているんです!」と言われて、びびる必要はありません。
 歴史の大事さ、重みや深さとは、そういうところにあるものではありません。



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