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智恵子の海に願いを

統合失調症と私

病歴16年。私の統合失調症の発症は一応35歳のときです。最初は統合失調症という病気がどうゆう病気なのか分からず、医師の誤診だと思っていました。しかし私には以前からストーカー気質があり、実際はもっとずっと前から病を患っていたのかもしれません。東京に住んでいた時、会社でパワハラを受けたり失恋したせいでかなりやらかしました。まだ20代の半ばだったのですが、辞めた会社にいたずら電話をかけたり、訪れていったり奇妙な手紙を出してみたり、変なメールを書いたり。もう精神的に破綻していたのに病名が解らなかったので、病院に行けなかったことでだいぶ私の人生は歪んだものになっていってしまいました。働けなくなるので、家に閉じこもり何もしないで結局カードを遣い込み、破産するまでに至ってしまいました。しかも、破産はもう一度ありました。40代に入って、投薬と通院でだいぶ良くなって来たときに、突然治療への不信感から医師に無許可で断薬をしてしまったのです。症状が再発した私は、ドラえもんの人間操り道具をある芸人さんに付けられた、と考えてしまうようになり(妄想)その方のSNSに大量の書き込みをしてしまったことで逮捕されるまでになってしまいました。手錠をかけられるという失態をおかす迄、私は自分で自分のことが止められなくなっていました。そんな中で2度目の自己破産を経験しました。自分のケツは自分で拭け、とよく言いますが結構キツかったです。そんな私は寛解した今も疲れやすさ等の陰性症状に時折悩まされています。お風呂に入るのが億劫で仕方なかったり、1日中布団でゴロゴロするのが好きだったり、認知機能が低下しているのか集中力散漫で読書や映像鑑賞が苦手です。

統合失調症という病

統合失調症は昔、精神分裂病と呼ばれていました。昔は治療法も限られたもので今のように良いお薬もなく、患者の人権を侵害するような治療は今よりもひどかったのではないかと思います。詩人・彫刻家の高村光太郎の「智恵子抄」は有名ですが、私の住んでいる九十九里町には高村光太郎の妻・智恵子さんが療養に来ていたそうで、「千鳥と遊ぶ智恵子」という詩には九十九里浜が登場します。昔の治療法は荒療治だったと思うし、智恵子さんがどの様な治療を受けていたかは分かりませんがきっと辛かったろうな、と思います。今でさえ鉄格子に入れられたり、手足を拘束されたりやられたい放題ですから。でも、高村光太郎という一人の男性に深く愛された智恵子さんは私なんかよりずっと幸せだったんだろうな…。この病気は、普通の人より寿命が10年短いんだそうです。現代でもそう言われているのですから50歳の私なんか棺桶に片足突っ込んでるようなものかもしれませんね。だけど本当に智恵子さんは羨ましい女性ですね。新薬や治療法では今の方が恵まれてるのかもしれないけど、高村光太郎が智恵子さんに与え続けた愛情は光のように100年経った今でも輝き続けています。私もそんな異性に巡り会えたらいいのにな、なんて願わずにはいられないんですよね。同じ女性として。

九十九里にある智恵子抄の詩碑
千鳥と遊ぶ智恵子

私なんかにもそんな人が現れるかな、現れたらいいのにな。人生も最終段階に入って色々考えさせられる日々です。命尽きるその瞬間まで、やり残しのないように精一杯今を生きる。陰性症状で疲れやすさを抱えては居ますができるだけ頑張りたいと思っています。納得出来る未来に向かって、今は一歩ずつ踏み出した感じです。たどたどしいですが立ち直りに向かっていきたいと思っています。私らしく。無理せずに。朗らかに。

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