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カナダでバスに乗ったお話

 世の中興奮することってたくさんあるけど、一番興奮するのは知らない国で公共交通機関を使うときだね。(間違いないね)

 お、学生時代にカナダでバスに乗ったときのこと思い出してきたぞ。興奮してきたな。


 あれは19歳のとき。当時大学生だった私は、夏休みを利用してカナダへ語学留学しに出かけていった。教員免許を取るための実習などと重なり、3週間という超短期での留学だったが、そのときに得た経験は私の中に強烈に残っている。

 何せこれは私にとって初めての海外体験。家族での海外旅行などもしたことのなかった私は、初めて日本を離れるという刺激的な体験にドキドキわくわくで半分死にかけていた。そもそも私の家族は海外などに縁はなく、英語を話せるような人間は存在しなかった。私だけがなぜか突然変異的に英語が得意になったのだ。

 最初の挫折は空港ですでに始まった。国際空港でのアナウンス。もちろん英語だ。これが全く聞き取れない。早すぎるし、音がもぞもぞとこもっていて意味不明だ。センター試験のリスニングテストではほぼ満点を取り、大学でもネイティブの先生との授業を受けていた私を、空港のアナウンスは打ちのめした。自分の英語がどれだけ温室育ちかを実感した。

私は絶望した。

「これから3週間現地で生活するのに、空港のアナウンスすら聞き取れなくてどうするんだ。やっていけるはずがない・・・」

 そんな私を救ってくれたのは、シアトルで乗り換えのために6時間待たされた末にようやく会うことができたホストファミリーの言葉だ。

「何だって?空港のアナウンスが聞き取れなかった?気にすることはないさ!あんなの俺たちだって聞き取れないんだからね!hahaha!」


 ホストファミリーはとっても優しく温かな人たちで、まさにmellowだと言われるカナダ人を代表しているかのようだった。クリスとキャシー夫婦にはジェイコブとマディソンという二人の幼い子供がいて、私を本当の家族のように迎え入れてくれた。

 環境に問題はなかったが、私には問題があった。初めて海外に来て、日本とは違う時間帯を生きて、死ぬほど寂しかった。ホームシックという言葉は知っていたけど、まさか自分が3日目でそれになるとは思いもしなかった。

朝、学校に行くためにバス停へと向かうときにふと思ったのだ。

「いまここで俺の心臓が止まって倒れても、誰も心配なんてしてくれないんだろうな。『今朝、訳のわからんイエローモンキーが一匹道ばたで死んでたゼ』って言われて終わりなんだろうな」

 そう思った瞬間、絶望的に孤独を感じて帰りたくなった。同時に、これがホームシックというものかと思ったのだった。


 私はバスで街にある語学学校へと通っていたが、このバス停が問題だった。日本にあるバス停には、名前がある。「○○小学校前」とか。文字が読めれば位置がわかる。一方で、私が現地で出会ったバス停がこちらだ。

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 お分かりいただけるだろうか。そう、名前がない。だから何だって?私も行きのバスでは特に問題を感じなかった。そう、行きのバスでは。

帰り道なのだ。授業が終わって、帰りのバスに乗ってから気づいた。

「どこで降りたらいいんだ?」

 現地の人は土地勘があるから、みんな景色を見て問題なく降りていく。しかし、数日前に来たばかりのイエローモンキーにそんなことできるわけない。しかも、留学先は田舎町。目印となるお店などなく、あるのはただ木だけだ。

私は必死になって見覚えがある木を探した。こんなに必死になって木を探したことは生まれて初めてだ。木の高さ、枝の感じ。朝見た光景をなんとか脳内で再現した。

 ついに!なんだか見覚えがあるような道に出た!ここで私は人生最大の決断を迫られることになる。

「ここで降りるか、降りないか」

 降りろよと思ったあなたは早計だ。ここで降りて、もし違ったらどうする?バス停には名前がない。手がかりは目の前に生えている一本の木だけ。ここで降りて違うバス停だったら、私はもう家に帰れない。

「やらないで後悔するな。やって後悔しろ」

 急に思い出されたのは、中学校時代の体育の先生の言葉だ。私が筋トレを始めるきっかけになった、あの先生だ。筋肉は国境を越えるのか。先生、さすがです。

 私は決死の覚悟でえいやっとバスの停車ボタンを押し、バスを降りた!迷いを振り切って行動できた自分に、究極の充実感を覚えながら。そして、次の瞬間思ったのだ。


「ん?ここ、朝のバス停じゃない」


 そう思うのとほぼ同時に後ろでプシューっとバスのドアが閉まった。その音は私の脳内で「はい、お前死刑ね」と翻訳された。

 人間はふだん脳の力を10%しか使っていないと誰かが言っていた。私はその意味をこのとき理解した。バスのドアが閉まると同時に、私の脳は今までにない速度で回転し始めたのだ!このとき、きっと私は脳の15%くらいは使っていただろう。

「バスが出る!死んじゃう!どうする、どうする、どうする!?」

ピッカーンと答えが出た。


「このバスを永遠に追いかければ、いつか帰れる」


 私は走った。履き慣らしたスニーカーで死に物狂いで走った。今までにこんなに必死で走ったことはない。なぜなら、このバスを見失ったら私は帰れないからだ。初めての海外で、こんな田舎道で迷子になったりしたら、もう死んでしまうと本気で思った。だから走った。

 息が苦しい。肺が、心臓が破けそうだ。そのとき頭に浮かんできたのは、またあの先生の言葉だ。


「野球は9回裏からが勝負だ」


意味がわからない。でも、今の自分を走り続けさせるには十分だ。先生、さすがです。

 時折、バスは安全確保のため速度を落とした。そのたびに私も減速した。なぜかって?あまりにもバスに近づきすぎたら、運転手さんに

「なんかあいつめっちゃ走ってついてくるやん」

って思われるからだ。そんなの恥ずかしいじゃないか。あくまでも行く方向が偶然同じなだけだと思われたかったのだ。私は走った。ときおり減速しながら、それでも力の限り走った。


 20分ほど走っただろうか。バスはようやく見覚えのある道に私を導き、永遠に続くかに思われた鬼ごっこは終わった。

 汗まみれで息も絶え絶えに帰ってきた私を見てホストマザーのキャシーは驚いた。

「いったい何があったの?」

「いや、ちょっと・・・走るのが好きなんだよ!」

 言えなかった。降りるバス停を間違えてバスを走って追いかけただなんて言えなかった。キャシー、心配かけてごめんよ。


 あのとき死に物狂いで走っていなかったら、私はどうなっていただろうか。今でもときどき思い出すのです。



ここまで読んでくださったあなた、ありがとう。おかげさまです。

またお会いしましょう。

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