モチベーションをアップデートする【前編】

35才を過ぎてくると、人生も折り返しかなと感じてくる。年齢による時間の体感速度で考えると折り返しどころか、7割くらいが過ぎたと考えた方が正しいのかもしれない。

毎日イキイキと過ごす人、人生に意味を見出せず嘆きながら過ごす人、ひたすら働いて時間をやり過ごす人。いろんな人生がある。

自分は、人生に目を背けて生きてきた。育った家庭環境が悪く、学生時代と20代は常に母のことで気に病んでいた。どんなに楽しいことがあっても、頭の片隅には母への心配が常に存在した。大きすぎる悩みを抱えると、人は現実逃避に走る。自分を直視できないし、どこかに心地のいい場所を求める。ある人には宗教かもしれないし、ある人に取ってはブラック企業かもしれない。自分は後者だった。チェーン店の居酒屋6年、デザイン会社で5年勤務した。どちらも勤務時間がとても長くストレスも大きかった。だからこそいろんな嫌なことを忘れることができた。ゆっくり自分の人生を考える余地などなく、それがよかった。

健全な精神が宿っている人は、そんなところで長くは務めない。労働基準法を大きく外れた環境に対して、正論を言ったり法律を持って対処することもあるだろう。ただ自分は違った。そう簡単にはやめなかった。

デザイン会社時代、帰りが毎日深夜2時3時になろうと、どれだけ厄介な仕事を振られようと、文句を言わずやり続けた。その間、何人もの人が入ってはやめていった。制作が自分一人になった時もあった。

結婚して子どもができたことで、収入や時間を考えるようになり、デザイン会社をやめてフリーランスになる。その後、5年間、事業としてはとても好調で雇われていた頃の3倍以上の稼ぎを得れるようになった。耐え抜いた5年間、朝から深夜までデザインの仕事に向き合って苦悩したことが、着実に技術を磨いていたのだ。

今、実家の母は元気だ。ただ、一般的な元気な母親象とは全く違う。友人や親族と世間話をしたり、孫が来たらご飯の支度に精を出したり、そういう訳ではない。元々、他人とうまくやってくことが苦手で、すぐに疲れてしまう。今は、ストレスも少なく自分なりに規則正しい生活を送り、心が安定しているようだ。これは、自分が現実逃避のために7年間住んでいた東京から、地元にJターンした頃から徐々に改善してきたと思う。月に一度は実家に帰り、とにかく母親のやることを否定せず、そのまま受け入れるということを続けた。そして結婚して、孫の顔を頻繁に見せにいくようになるとさらに、喜ぶ顔も見れるようになった。

小学校中学年頃だろうか、だんだん疲れて家事ができなくなり、人と話さなくなっていく母親を見ていると、辛くて、「普通の母親」になって欲しいととにかく願っていた。ある日、何があったのか母が急に元気になったことがあった。とても、明るい話し方になり、ご飯も普段とは違い何種類も作って(自分には本当にキラキラしたご飯だった)、「今までごめんね」と言ってくれたのを覚えている。兄弟で本当に嬉しくなって、家の中が本当に幸せに包まれた感じがした。ただ、そんな日は長くは続かず、だんだん体調が悪くなり、あの憂鬱な日々に戻って言った。

今、フリーランスという立場ながら仕事も順調で、人生の最大の悩みだった母親も精神的に落ち着き悩みという悩みはなくなった。周りの環境に翻弄されてきた自分にとってこんなに落ち着いた気分で過ごせていること、そしてゆっくり自分の人生に向き合って考えることは今まで一度もなかったことだ。

ただ、ここで新たな悩みが生まれた。お金がない、家庭環境が悪い中で「なにくそ」という逆境根性で常に戦ってきた自分にとって、この平安な日常の中でどのようにモチベーションを保って行けば良いのかわからないのだ。

モチベーションとは人ぞれぞれである。お金を稼いでいい思いをしたい、人にもっと認められたい、コンプレックスを克服したいなどが挙げられるだろう。ただ、一般的なこのようなモチベーションは、自分のケースと同じように一生をイキイキと生きれるのに十分なモチベーションではないのかもしれない。

【つづく】

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