禅語の前後:両忘(りょうぼう)
科学的な方法論は万能だと、僕は思っていた。分ければわかる、わかればできる、ごく単純な原理原則だ、それで人類はここまで発展した、このやりかたですべてがわかるのだと、2011年3月11日まで、僕は無邪気にそう考えていた。
私たちの日常経験している世界は、すべて相対の世界である。大小・高低・左右・前後・男女・老幼・是非・善悪、さらに自他・賓主・主観と客観というように、すべて相対している世界である。両忘とはこれらの一切の総体を忘れるということである。しかし、ここで「忘れる」とは、それらの差別を無視し否定することではなく、相対未だ分れない以前の場に立つことである。
(芳賀幸四郎「禅語の茶掛 続 一行物」)
2011年3月12日は土曜日だった。大震災の翌朝、僕はいつもの茶道教室に向かって、いつもより早い時刻で代々木を歩いていた。通りすがりの公園ではラジオを流していて、ニュースではアナウンサーが冷静なトーンで、核災害に対する基礎的な防御手段を淡々と伝えていた。早起きしたのは僕だけではなかったようで、茶道教室では姉弟子たちが地震の片づけをすっかり済ませていて、張り切って早起きした僕の出番はなかった。
稽古のあとで、友人に電話が繋がった。彼女は僕に真っ暗な声のトーンで、もうおしまいだと電話の向こうでぽつりと呟いた。彼女の部屋で僕は彼女と、所在なくただ二人でテレビを見て過ごした。テレビでは公共広告機構のCMと(一般のCMが全て自粛されたため、流せる広告が公共広告機構のものしかなくなったのだ)、震災の様子を伝えるニュースとが、延々と繰り返されていた。新しいニュースは殆どなかったが、どのチャンネルでもニュース以外の番組がなかった。津波の被害を受けた福島の原子力発電所が危険な状態にあるというのは、ニュースで僕たちにも伝わったけれど、これからいつどうなるのかは誰にも分からなかった。
(寝苦しい夜に見る悪夢のようにも思えるが、これは本当にあったことなのだ。)
春先の茶道教室の入口には、外套の花粉を払ってから入ることをうながす張り紙が、去年の同じ時期には無かった張り紙がされた。姉弟子と僕とは、言葉にはせず、ただ「これって…。」と言って互いを見合った。花粉を言い訳にして、放射性物質に対する処置を求めているのであろうとしか思われなかった。
放射性物質は、通常ではありえない分量で、首都圏にも届いていた。通常ではありえない分量ではあるが、直ちに健康に影響を与えるほどではない、と言われていた。その分量は所定の方法で測定されて、文科省のサイトで公開もされていた。聞いたこともない単位で、億の数字の何かが飛来しているのだと、そこには記載されていた。僕はその未知の単位の意味するところを調べ、自分なりに計算をし、「直ちに健康に影響を与えるほどではない」ことを確かめて安堵した。首都圏を離れる必要はない、少なくとも今は。
僕の友人は、そうではなかった。彼女は各種の怪情報を飲み込んで、はちきれそうになっていた。「科学的な方法論」を使った僕の説明は、彼女にはまったく響かなかった。
比較的影響の薄かったはずの首都圏でさえ、この有様だった。現地福島の混乱がいかほどだったかは、想像に難くない。県内に住む地元の方が、震災の四年後に山間地の居住制限区域を訪れたときのことを、こんな風に書いておられた:
とりとめもなく考えながら歩いていると、目の前に桑の木がいっぱいに黒い実をつけている。甘い桑の実は生食でもいいし、ジャムにするのもいいと思いながら、木に腕を伸ばしかけて、放射線量はいくつだろうか、とわずかの間、手を止めた。いずれにしても大した量ではない。過去に確認した桑の実の測定データを思い出して気を取り直した後、背伸びをして実をいくつか摘んだ。口の中に甘さが広がった。
だが、心の強張りが取れない。頭の中をいくつもの考えが巡る。この桑の実を、私は自分の友人の子供にあげられるのだろうか。相手は受け取るだろうか。ジャムを作ると放射性物質は濃縮する。それを私は他人に勧められるだろうか。逡巡することなく食べ物を人にあげられるかどうかわからない場所へ、私は帰りたいと思うだろうか。けれどもし自分がここで暮らしてきたのならば、土地への愛着は強いかもしれない。どちらが勝るんだろう。際限なく一人問答は続き、ついには、私にはわからない、と空を仰いだ。
(安東量子「海を撃つ」)
測定して数値化して、高低がはっきりしたとしても、それでも「わからない」ものはある。僕の友人は震災直後ずっと、そのわからないものに怯えていて、僕はそれを彼女がまだ分かっていないからだと考えて、愚直に「科学的な方法論」での説明を繰り返すという、不器用なことをしていた。彼女が僕の愛する人でなかったならば、僕は彼女のことを分析力が劣っていると即断して、付き合いを止めてしまっていたことだろう。
今ならわかる。分けてもわからないことはあるのだ。それを僕に教えてくれた彼女、いまでは僕の妻だけれど、彼女には感謝してもしきれない。
これはある意味合いにおいては、この「両忘」という禅の言葉にも通じる。そう考えて書き始めたけど、ずいぶん長くなってしまった。