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禅語の前後:碧波心裏玉兎驚(へきは しんり ぎょくと おどろく)

 陸上部の合宿で、海辺の町に泊まったことがあった。僕らのふるさとは海からは遠く、夜の海を初めて見た。
 満月だった。黒く青い海には波が途絶えず打ち寄せ、明るい月がその波の上に映り込んでいた。月夜の元を飛ぶ龍の話を、一緒に居た友達が、僕に話して聞かせてくれた。話の筋は忘れてしまった、多分その場ででっちあげた作り話だったのだろうと思う。

 唐の時代、りゅう鉄磨てつまという名の尼僧が、潙山いざんという禅僧を訪ねた時の逸話がある。禅宗にありがちな、訳の分からない逸話。その逸話に対する、潙山より一世代あとの風穴ふうけつという禅僧の、解釈というか感想というかそういうものが、言葉として残っている:

 白雲深處金龍躍  白雲深きところ、金龍おどる
 碧波心裏玉兎驚  碧波へきは心裏しんり玉兎ぎょくとおどろく
(碧巖集 第二十四)

 そのままの意味は「白雲の深いところで金の龍が躍動し、みどりの波のような心の中で月の兎がおどろいている」になる。

「金龍」とは太陽の別名であり、これに対して「玉兎」とは月に兎が棲むという伝説にもとづいた月の異称である。この二句の意味は、風穴や宗峰の用例から推すと「さりげない問答の背後に甚深な魂胆があり、その働きはまことに端倪たんげいすべからず、何とも見事だ」ということである。
(芳賀幸四郎「禅語の茶掛 一行物」)

 芳賀さんはこれに続けて、茶席で「碧波心裏玉兎驚へきはしんりぎょくとおどろく」の掛け軸を見るとするならば、海なり湖なりに波が立ってそこに映った月が「千々に砕けて何とも美しい、その眺め」をうたったもの、とシンプルに解釈してもよいであろう、とも書いている。

 禅の言葉は、ただの景色として見ても、とても美しいものがある。
 言葉にならないものを言葉にしようとする試みであるので、われわれ一般人としては、ただの景色として楽しんでしまっても、別に叱られはしないだろう。

 ちなみに、その元になった、劉鉄磨と潙山とのやりとりは、以下の通り。

山曰く、老牸牛ろうじぎゅう、汝来るや。
磨曰く、来日らいじつ、台山に大会斎あり。和尚、還って去るや。
潙山、身を放って臥す。
磨、便すなわち出で去る。

 潙山 「年老いた雌牛よ、あなたが来たのか」
 劉鉄磨「あした台山で法要がありますが、先生は帰られますか」
 潙山、その身を放り投げるようにして横になる。
 劉鉄磨、そこで立ち去る。

(書き下し文は芳賀幸四郎「禅語の茶掛 一行物」より抜粋)
(現代文は拙訳)

 これを読んでも僕には、金龍も玉兎も見えなかった。
 風穴いわく、「年老いた雌牛よ」のくだりが金龍で「あした台山で」のくだりが玉兎らしいのだけど…。僕のような一般人には、まだ早すぎたようだ。

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