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禅語の前後:三千刹界一甌春(さんぜんせっかい いちおうの はる)
これは禅の言葉というよりは、茶を飲んだときの感動を歌にしたものの一節のようだ。鎌倉時代は缶コーヒーもレッドブルもなかったのだから、茶のカフェインはさぞかし効いたことだろう。
東君北焙碾芳塵 東君北焙芳塵を碾く
乳粥瓊糜綴歯新 乳粥瓊糜歯を綴って新たなり
両腋清風十虚窄 両腋の清風 十虚窄し
三千刹界一甌春 三千刹界 一甌の春
(虎関「済北集」より「茶」)
「太陽の女神が、舞い散る花を、臼でひいたかのような茶だ。
聖人の粥か、宝石のスープか、飲めば口の中で歯が新たに綴られる。
身体の中から風が湧いてきて、大空さえ狭く思えるくらいに吹きぬける。
はるか異次元にまで広がる春が、いま、この茶碗一つの中にある。」
…っていうくらいの意味合いの詩らしい。
茶は、鎌倉時代には禅僧が好んで(眠気覚ましのために)飲んでいたようだし、中国渡来の素敵なもの=「禅」そのものの暗喩として「茶」が使われていたふしもあるので、これはそのまま禅の境地を指す歌だとも受けとれる。まぁ、「何このお茶めっちゃおいしいんですけど!」という意味だと受け取っても、いいのだろうけれど。
これは、虎関という鎌倉時代の僧が書いた一編の詩らしいのだけど、芳賀幸四郎さんが「どうもよく分からない」と書くくらいに言葉遣いが複雑。ただ、歌の趣旨はあくまで茶を飲んだときの感動なので、ぼんやり読んでも大意は伝わりそうだ。芳賀さんの知識も修練も僕にはないけれど、彼の時代にはなかったインターネットで漢字を使えば、大陸の情報もワンクリックで取り出せる。できる限りで調べてみよう。
「東君」は太陽神あるいは春の女神。
「北焙」は茶の異名らしい。「北」は北苑、今の福建省建甌市あたりの茶の名産地を指すもののようだ。「焙」は、抹茶を作る工程にローストする作業があるので、それを指すのかもしれない。
「芳塵」芳しい塵、舞い落ちた花びら、あるいは、春一番に吹かれる埃を指したりもするようだけれど、ここではそれを臼で「碾」くというのだから、抹茶のことを指しているのだろう。
暖かう埃をあげてあふつ風春風といふ日は来りたり
(尾上柴舟「芳塵」)
「乳粥」、乳のおかゆ、スジャータが断食明けのブッダにささげたという伝説を指すものかもしれない。
「瓊糜」、この単語はもう日本の辞書には載っていないけれど、大陸の辞書には今も載っているようだ。翡翠で作ったおかゆで、食べると寿命が延びるという伝説があるそうだ。
「歯」を「綴」って「新」しくする、というのは、他では見たことのない表現だけど、これは茶を飲んだ口の中で歯が新しく生えかわってきたような爽やかさを指すものだろうか。
三句目は、芳賀さんの解説を引くことにする。
転句は、唐の玉川子蘆同の有名な「茶歌」に「七椀にして唯だ覚ゆ、両腋、習々として清風を生ずるを。蓬莱山は何れの処にか在る」を踏まえたものである。また「十虚」とは十方虚空を略したもので広大無辺な大空の意である。
(芳賀幸四郎「禅語の茶掛 続々 一行物」)
「三千刹界」は仏教の用語、「3,000の大千世界」の略で、ひとつの「大千世界」には1,000の「中千世界」があってそのひとつの「中千世界」には1,000の「小千世界」があってそのひとつの「小千世界」にはええいもうインド人は考えることが細かいなぁもう、ようするには1,000×1,000×1,000×3,000=3テラの世界を横断する、なんかもうものすごい広大な時空間を指す。
で、「一甌」は、ひとつの茶碗。3テラある異世界すべてに、一椀の茶が春をもたらす、というような意味合いになるんだろう。
お茶が飲みたくなってきた。
いま抹茶を切らしているのだよなぁ。明日にでも買って来よう。