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不定期サバティカル日記47 今、手にしているものを畏れよ
サバティカル休暇に入る前から、ほぼ毎朝、犬を連れて散歩に出ています。春から夏は5時頃、秋から冬にかけての今は6時頃です。散歩をするのは住宅街なのですが、それでも、住宅街にはふさわしくない凄いスピードで走る車がいます。
車で職場や現場に向かっているのでしょう。遅れそう?なのか、そうした凄いスピードで走る車のドライバーの顔には一様に余裕がありません。早く着くこと。次の信号を青のうちに渡ること、それしか考えていないように思います。
危ない。
私は、車を運転する時「もしかすると、人を殺めてしまう可能性すらある1トンの金属の塊」を手にしていると、自分を戒めています。車というものを、運転というものを畏れています。
私は料理が好きで、時々するのですが、必ず包丁を握りますね。私はそのとき「もしかすると、指を切り落とす可能性すらある、鋭利な刃物」を手にしていると自分を戒めます。包丁を畏れているのです。
今は休職中ですが、私の仕事はGoogle アナリティクスを読み取り、お客様にアドバイスを差し上げることです。間違ったアドバイスを差し上げては到底プロとは言えません。なので、Google アナリティクスを畏れています。出てきているこの指標は本当に適切に収集された結果のものか?疑います。実装に何か瑕疵がないか、突然のイレギュラーなことが起きた期間をたまたま見ているだけでないのか、疑います。
そうした「今、自分が手にしているものへの畏れ」って、もっと皆んな持ったほうが良いのかな。と思うことがあります。
今、手にしているのは、3歳の幼児たちである。幼く、か弱く、まだ、自分で自分を守れない存在である。丁寧に、丁寧に扱わないと壊してしまうかもしれない。そんな気持ちで畏れていれば、、、と通園のバスに置き去りという痛ましい事故の報を耳にして思ったのでした。
ではまた。
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