軍部の暴走とはなんぞや

その1、

1935年(昭和10)2月18日
貴族院で菊池武夫による天皇機関説排撃運動
3月22日に衆議院は国体明徴決議
4月9日に内務省は美濃部の著書3冊を発禁処分とした

右翼団体と在郷軍人会を中心とする機関説排撃運動は、4月以降全国的な広がりをもって展開し、8月3日岡田啓介(けいすけ)内閣は国体明徴声明を発したが、軍部を背景とした排撃運動はやまず、10月15日政府は天皇機関説が国体に背く旨を明示した第二次国体明徴声明を発し、この声明を受けて軍部は運動の中止を指示して運動は終息した。

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国体明徴運動によって、憲法の立憲主義的解釈は否定され議会の地位低下に拍車がかかったが、国体明徴運動における活動によってさらに比重を増した軍部においても、この運動の途中で皇道派と統制派の争いは激化し、36年の二・二六事件に向けての伏線が形づくられるようになっていく。

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