出羽の国からお届けします
こんにちは。
出羽の国 ( 山形県秋田県あたり ) 在住の時々パートで配達の仕事してしている主婦です。
ずっと、書きたい創りたいと思っていました。何をどうすれば書き続けられるのか。考えをめぐらせ、めぐらせすぎてnoteに登録して二年間固まってしまってました。
そして、創りたい気持ち伝えたい気持ち、外にだしたくて現在ここに至ります。
誰かの心に響く、一滴の雫のようなものを創りたい。
ちょっとくさいことを書きましたが、一生にひとつでもできないかなぁと思い、そしてそれができる環境をつくるのが夢です。
縄文時代が気になる
地方史は受験勉強にはあまり関係がないので、中央の歴史ほどは学びません。小学校で地元調べをした記憶はありますが。
地元ということもあり、東北の歴史がミステリアスで 今 調べてワクワクしています。
東北はエミシ( 縄文人系 )の国で、弥生人と混ざり中央政権の影響も感じ、アイヌの匂いもするのです。
縄文時代が気になり始めたのは、震災がきっかけです。ご先祖さまをずーっとずーっと縄文までたどっていくと東北の人達、みんなどこかで繋がっているんじゃないかと思ったからです。
そしたら、以外と身近に縄文遺跡があるではありませんか。
子供たちが遺跡のある小山の脇を通って学校に通い、私も買い物に行くため車を走らせる同じ場所は、大昔きっと、うっそうと木々がしげり人工のものなど少なかったでしょう。
自然はずっとそこにあり。変わったのは私達。縄文人のご先祖さまは自然に寄り添って暮らしていました。そこに思いをめぐらせるのが好きです。
待合室で隣に座ったあの人のご先祖さまは、私のご先祖さまの親戚だったかもしれないし、知り合いだったかもしれない。ということは私とあの人はとーっても遠い遠い親戚で知り合い?でしょうか。
縄文人は狩猟採集だけで生活していたわけではなく、私たちが思っているより進んでいました。気になってからいろんな本を読んでテレビを見て今まで知らなかったことを知りました。
一万三千年の間、大きな争い事が無かったということも。
みんなで一緒に協力して一日を生きることに集中しなければならなかったとしても、すごくないですか。争い事のなくならない以後の世界、どちらが人間本来の姿かと考えさせられます。
……きっと両方なんでしょう。でも、前者でありたいです。
道端の石塔・旧街道
縄文時代から日本中の村々は交流し、黒曜石 ヒスイなど モノもめぐり人もめぐりました。そこには道ができます。
道が街道になり、鎌倉時代 江戸時代 現代 姿を変えても続いています。
想いをはせるとワクワクしませんか。
街道のかたわらに石塔や石碑、お地蔵さんや小さな祠をみかけます。昔の人が旅の無事や家族の健康など祈ったんだろうと思うと、祠の前にふわぁっと昔の人の存在が見える気がします。
私は霊感みたいなものは無いので実際はみえないですよ。イメージです。
配達の仕事をして街道を感じるきかいが増えました。以前は走りやすい整備された広い道路を走るのが好きでしたが、現在 古そうな道を見つけると入りたくなってしまいます。
「 思い出ぽろぽろ 」で知られる山形県山形市高瀬地区の石塔群。新しい道ができて移動したらしいですが、並びは再現しているとのこと。キレイです。手前にあと半分あるのですが写ってません😅 高瀬地区は山形と仙台をつなぐ二口街道沿いです。
このようなかんじで、気になった歴史 日常 創作 など、徒然にゆる〜く書いていければと思っています。
夢に協力していただき、ありがとうございます。ただただ感謝です(^^)