けん玉集中法(仮)

玉を下ろす。

糸がすうっと垂れる。

微小に動いている玉が、凪の水面のように寝静まるのを待つ。

静かになると、私はその玉に意識を注入し始める。

他のことはなにも考えず、意識を注ぎ続ける。

「なにも考えざるを得ない」という方が正しいだろう。

集中してゆくときは、夜の海に落ちていくかのようだ。

海底へたどりつき、私は、玉を凝視する。

妖精の風に枚挙げられたかのようにブワッと、玉を空中に持っていく。

そして、それの回転する方向を見定める。

糸が出てくる方向と逆の方向に、けんをさす穴がある。

そこへ、迎えるように持っていき、

「カチャ」という音とともに、私は安堵し、同時に歓喜する。

そして、ドーパミンが放出される。

これだから。またやりたくなってしまう。

「けん玉」を。


私は、この一連の動作の中で一番好きなところがある。

それは、「集中しているところ」だ。

なぜか、潜る感覚と、張り詰めたシーンとした感覚が癖になる。


思い返してみれば、最近はやることが多かった。

朝ご飯食べている間に、todoリストを作る。

そんな感じだ。

なにかをするときはマルチタスクだった。
トイレの時間も考えていた。

そのため、「なにかだけに集中する」ということが少なくなっていたんだろう。


でも、とめけんをしてみてわかった。

あの集中する時間を抜いたら、油断したら一生、ささらない。

だから、けん玉のとめけんをするときにはあれはまさに心臓だと言ってもいいだろう。

だから、入れようと思うと集中しざるを得なくなる。



最初は潜りにくかった。抵抗があった。

でもやっていくうちに潜りやすくなっているような感覚がある。

慣れもあるだろうが、それを考えたとしてもやりやすい。


もしかしたら、「集中する」というのには、2ステップあるのかもしれない。

1、集中状態に入る
2、集中状態を維持する

今、「集中する方法」と検索すると2が出てくる。

「45分のポモドーロテクニック」とか。
「深呼吸で酸素を送る」とか。

前者は、制限時間をつけることで、集中状態を維持させている要素もあるだろう。

後者は、集中したときに切れにくくするための工夫だ。


だとしたら、1はあまり開発されていないのかもしれない。

そして、けん玉のとめけんは、それを満たしている。…と思う。

最近やり始めたばっかで効果があるかわからないが、今後なにか進捗があればnoteに書かせてもらおう。


その時は、「けん玉集中法(仮)」ではなく、
「真・けん玉集中法」として。

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