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こどもの大学・おとなのようちえん

授業でよくできる学生にいろいろ教えてもらいながら、考えたことがありました。先生って、コンテンツを教えるよりも、人を育てるというか成長に寄り添って見守る方がいいんじゃないかな〜ということです。

10年以上前の話ですが、私は、交通事故の後遺症で脳脊髄液減少症により半分寝たきりのような、全身の痛みや頭痛吐き気意識障害で辛い日々を送っていたことがありました。少し良くなって授業をしようと思った時に、今だから言える困ったことがあります。

忘れっぽいのはいつものことですが、それが非常に激しくなってしまい、先週何をどこまで話したか思い出せなくなってしまったのです。それをどこにメモしたかも。で、どうしたかというと、よくできる学生に、先週はどんな話だったかな?印象に残っていることを話してください、と発表させることにしたのです。そうしたら一方通行の教え方よりクラスがずっと生き生きしました。よかった!

その次、心理学理論を説明しようとしたら、よく知っているはずなのに、言葉が出てこないのです。教員として、もうダメかもと思いました。そしてその時に何ができるか考えました。理論よりもっと基本的な生き抜く力や幸せな人生について感じるままに話していこう、それで学ぶことも多いはずだ。そうしたら理論中心のコンテンツ学習より学生の心に深く響いたようでした。よかった!

うちの大学の駐車場は小さいものですが、ある日、自分の車が探せなくなりました。車で来たかどうかも思い出せなくて、駐車場を一周しても見つからなくて、途方に暮れて呆然と立ち尽くしました。私は一体どうなってしまうんだろう?自宅はこの辺りのはずだと分かるのに、どうしても建物が見つけられないとか、建物に入っても部屋番号がわからないとか。認知症の症状ってこんなものなのかを実感しました。もうこれ以上仕事は続けられない・・・愕然としました。

その時、認知症の底しれない深い心細さを知りました。「お年寄りが嘘を言う」理由もわかりました。わからないということを自分でも認めたくないし人にも知られたくないから、精一杯普通のふりをするのです。今まで気がつかなかった自分の思いやりのなさに心が痛みました。ごめんなさい、許してください。

大人でも子供でも、できることできないことがあって、教えたり教わったりは、年齢に関係ないと思うのです。子供が大学で教えたっていい。大人も幼稚園でお砂遊びしてお遊戯しながら学ぶことがいっぱいあるし。

Tuuliはそんな開かれた学び=遊びを目指しています。

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