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死体は土に返すべき?

死体は土に返すべき?

はじめに

剥製を使ったアクセサリーを製作していると、反対する立場の方からもいろいろなご意見をいただきます。
その中でもよくあるのが「死体は土に返すべきだ」というご意見です。

私の考えとしては「お互いに相手に干渉せず、自身の信条に従って行動しましょう」で終わる話なのですが、「死体は土に返すべきだから、剥製を作ることは認められない」という論旨で非難を受けることもあります。

そうした考えに対する反論として、この文章を書いてみました。
 




総論

ところで「土に返す」というのは具体的にどうすることでしょうか?

動物の肉体を構成する有機物を無機物に戻すこと」と、私は解釈しています。

分かりやすく言うと、土に埋めるだけでなく、食べてうんちになること、燃やして灰になること、どれも「土に返す」ことになると思います。

そこで、最初に知っておいてほしいのは、動物を剥製にする場合でも、肉体の構成物の多くは土に返っているということです。

剥製というのはぬいぐるみと同じようなもので、動物の組織が残っているのは外見の皮や羽毛だけで、中身はプラスチックや綿などのつめものが入っています。

腐敗する肉や内臓はすべて取り除かれています。

小動物の頭骨等はそのまま残されることも多いですが、骨も大半は取り除かれます。

正確な数値は分かりませんが、剥製になる動物の7割くらいの部分は土に返っていると考えてよいかと思います。

死体は土に返せ」派の考えとしては、なにがなんでも動物の肉体すべてを土に返すべきと考えるのでしょうか? 
その根拠はなんでしょうか?

土に返すべき」ことの根拠として、大別して環境保護の観点と宗教の観点に分けられると思います。

この2つの立場について、これから考えていきます。


 



環境保護の観点

動物は死んで土に返っていくのが自然のリサイクルのあるべき姿であり、それを止めるのはよくない」という考え方です。

これは、一言でいうと炭素循環のことですね。

この考えは、きわめて限定された狭い環境なら正しいようにも感じますが、地球全体に目を移すと重大な問題があることにすぐ気が付きます。

産業革命以降、二酸化炭素の排出量は増え続けており、地球温暖化の要因となっています。
二酸化炭素排出量を削減することが全世界の課題となっていることは、ご存じの方も多いでしょう。

つまり、地球環境の維持を考えた場合、「生物の死体は土に返さないことが正しい」という結論になるのです。

身もふたもない言い方をすると、現実的には、仮に世界中に存在する剥製をすべて燃やしたところで、地球環境に与える影響などきわめて微々たるものでしょう。

環境保護の観点としては「お互い好きにやればいい」というのが、最も正しいといえるのではないかと思います。
 



宗教の観点

剥製にされた動物は成仏できない」というような宗教的な観点から、死体を土に返すことを主張する方もたくさんいます。

大原則として、日本では「信教の自由」は憲法で保証されています。

私はあなたの信仰を否定しないから、あなたも私の信仰を否定しないでください」といえばそれで終わりです。

が、それだけでは納得いかない方も多いと思いますので、私なりの考えを書いていきます。

剥製に対して、「生命に対する冒涜」というようなことを言われることもよくあります。

こうした考えは、特に日本人に顕著ではないかと思います。

仏教では輪廻転生の思想が根底にあるため、死後には元の肉体を必要としません。

むしろ、肉体を残しておくことは現世への執着につながるため、転生を妨げると考えられます。

そのため、日本では火葬が一般的であり、死体を残して装飾するような行為に対して冒涜的と感じるのではないかと思います。

また、宗教的な教義以前の問題として、高温多湿な日本の気候では死体はすぐに腐敗してしまうため、衛生上の観点から火葬が推奨されてきたとも考えられます。

仏教・ヒンドゥー教では火葬が一般的ですが、その他の宗教ではそうではありません。

キリスト教・イスラム教は、ともに遠い未来には死者が復活すると考えます。

そのため、死後の肉体を消滅させるような火葬は行われず、一般に土葬が行われます。

また、死体に防腐処置を施し、生きていたときと変わらず保存しようとすることも一般的です。

西洋圏では、動物を剥製として残すことにも宗教的な観点からの忌避感は少ないのではないかと思います。

剥製が冒涜的に見えるのは、あくまで仏教の考え方によるもので、世界的に共通する常識ではないということは、心に留めておいてほしいと思います。

また「剥製にすると成仏できない」と言っている人が、同時に亡くなった動物に対して「天国に行ってね」というようなことを語るのを見たことがありますが、これはかなりおかしなことです。

死後に別の存在に生まれ変わることが輪廻転生ですが、仏教では転生を繰り返すことは苦行であり、輪廻から解脱することを成仏と考えます。

天界は清浄で苦しみの少ない世界ではありますが、六道輪廻の中にあり、成仏しているとは言えません。

死後の世界というものが本当にあるのかどうか私は知りませんが、成仏を願うのなら正しい方法で目指してほしいと思います。
 



最後に

無駄に長い文章をだらだらと書き連ねてきましたが、「土に返すべき」という人に言いたいのは、結局のところこの一言だけです。

「お互い、相手に干渉せずに自分の好きにすればいいんじゃないですか?」


2020-09-21
アメブロの記事を転載しています。

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