闇の深さと、色相の繊細かつ豊かさ。


嵐山から嵯峨野は、観光客で溢れかえっているけれど、清涼寺あたりまで来ると、それほどでもない。
 私が、京都に移住することになったきっかけの一つが、11年前、風の旅人の第47号で、染色家の志村ふくみさんのロングインタビューのために、この清涼寺のすぐ近くの志村さんのアトリエに来たことだった。
 早めにやってきて、その待ち時間のあいだ、清涼寺で、ぼんやり時間を過ごしていた。
 当時、志村さんは90歳だったけれど、ものすごく聡明で、話している内容をそのまま原稿にしても通用するほどの論理明晰さだった。
 その話のなかで、志村さんが作り出す色について言及するところがあり、志村さんの色は、色相の繊細かつ豊かさと、微妙なグラデーションに特徴があるが、その色は、この嵯峨野の刻々と変化していく空気の色だと志村さんは仰っていた。
 そういう繊細な色の変化を味わい尽くすということが、私の東京での生活ではなかった。
何よりも、京都の夜の暗さが、とても印象的で、繊細な色というのは闇の深さがあってこそのもので、東京のように夜もうっすらと空が光を帯びているようなところでは、色に対する感性が鈍くなり、どうしても鮮明なものを好む傾向が強くなる。

 闇の深さと、色相の繊細かつ豊かさと、微妙なグラデーション。
 それは、いにしえの日本美ではあるのだけれど、志村さんは、公式の場では着物だが、ふだんは洋装。アトリエも、工房は当然ながら和の趣が強いが、生活空間は洋式。そして、クラシック音楽が好きで、西欧文化に対する造詣も深かった。
 志村さんは、物事を秘めたり暗示するような話し方はせず、言語明瞭なロジカルシンキングで、近代西欧の影響を強く受けたうえで、日本古来の美に憧憬と敬意を抱いている。
 その東西の絶妙なバランスの上に新たな美を立ち上げるというのが志村さんの世界なのだろうと思い、東京の中にこもっているだけでは、そういう感性は磨けないと悟った。
 感性というのは、物事を感じとるアンテナであるけれど、そのアンテナが、東京の周波数に合いすぎていたら、他の世界を受信できなくなる。
 かといって、京都の世界にどっぷりと浸っているのも同じことで、けっきょく私のような根なし草の性分として、東京と京都を行ったり来たりしながら、その過程で日本の地方に足を伸ばすのが、一番いいバランスの取り方なんだろうと認識した。
 なので、あの時、志村さんをロングインタビューしなければ、今取り組んでいるような日本の古層の探求を行っていたかどうかはわからず、人の運命というのは、一つの出会いをきっかけに、その先どうなっていくかはわからない。だから、今この時点に自分が持っている情報だけで、未来のことをあれこれ考えたところで、あまり意味がないかもしれない。

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