おのずから、しからしむ道


 伏見稲荷大社は、外国人旅行客の人気ナンバーワンの場所だそうで、連日、ものすごい人だかり。
 境内には、「伏見稲荷は祈りの場です」という言葉が掲示されているが、果たして、どれだけの人が、祈るために、この場所に来ているのか?
 しかし、聖所というのは、古代から二種類の場所があった。
 一つは、正真正銘の祈りの場であり、厳粛な神事が行われ、巫が憑依して神の声を降すような場所。
 そしてもう一つは、この伏見稲荷大社や、江戸時代の伊勢神宮のような場所で、様々な地域から、物見遊山で大勢の人がやってくるところ。
 中世ヨーロッパのロマネスク巡礼で多くの人たちが集まったところは、その後、ゴシック都市、そしてルネッサンス都市となり、現在のヨーロッパの主要都市の大半は、そのように形成された。
 巡礼の途中、誰かが、マリア像が涙を流したというデマを流せば、それだけで人が集まり、また集落の人は、さらに人を集めるために教会を築き、御加護を求める熱心な人たちが集まって真剣に祈っているうちに、そこは聖地独特の厳粛な気配が漂う場所になった。ピレネーの麓のコンクなどは、そういう場所の一つだ。
 パキスタン北部、ガンダーラ地方の仏教都市もそうだった。
 本来は、釈迦の遺灰などを分けて納められていた仏舎利を祀るためのストゥーパだが、人を集めるために、釈迦の遺灰など入っていない巨大なストゥーパが築かれ、それを中心に大きな街となり、様々な地域からやってくる大勢の人で賑わった。
 タキシラなどの古代都市遺跡は、そのようにして形成された。
 人の念が集まると、その場所が聖地になっていくということもある。
 そして、現在のヨーロッパの都市のように、巡礼の聖地に大勢の人々が集まって、彼らの力で素晴らしい教会が建設され、教会を彩る様々な絵画や彫刻などの芸術作品が生み出された。
 インドのガンダーラ地方の聖域では、ストゥーパに寄進するために自分に似せた仏陀像を作らせる人が現れ、ギリシャ人やチベット人などの顔に似た仏像が数多く作られ、それがガンダーラ美術に発展したが、もともと偶像崇拝が禁止されていたはずの仏教において、仏像は、重要な祈りの対象となるまでになった。
 聖域に人が群れると、聖域の空気が壊れるなどと言う人もいるが、聖域は、人間が作り出すものであり、その時々、それぞれの人間の事情と、人間の念がからんでくる。
 人が群れていようがいまいが、「聖域」という分別自体が人間の概念であり、他の生き物は、そんなことは考えない。
 人が群れる場所は、疲れるという人もいるし、逆にエネルギーをもらえるという人もいる。
 人が群れる場所に敢えて出かけていきたいというのも人間心理だ。
 しかし何事もバランスが必要であり、静かに心を落ち着かせたいという心を持っているのも人間であり、だいたいどの聖域においても、そうした心鎮める場所がある。
 ゴーダマ・シッダールタは、「極端にかたよっては真理に到達することはできない」と悟った。
 孔子も、「過不足なく調和がとれている」という中庸を、人徳としては最高のものとした。
 荘子は、 自然に即した「中正の道」を説いた。
「物事のなりゆきのままに身をのせて、心を労することなく自由に遊ばせ、やむにやまれぬ必然の運命のままに身をゆだねて、自然のままの中正の道を養うようにすれば、それが最上の道である」。
 この自然というのは、いわゆるネイチャーではなく、「おのずから、しからしむ」ということで、自然体という言葉の方がふさわしい。
 「自然」といふは、「自」はおのづからといふ、行者のはからひにあらず。「然」といふは、しからしむといふことばなり。
              (親鸞八十八歳御筆 自然法爾章)
 日本人の行動原理とつながる自然観は、戦後の日本社会を見ればわかるように、「自然を大切にする」とか、「自然を愛でる」ということではなく、この親鸞88歳の時の言葉のように、自然の成り行きに身を任せることを良しとするものなのだろう。
 とはいえ、理性分別を持ち、計算高くなった人間にとって、自然の成り行きに任せることは簡単ではない。
 よからぬ邪心で、不自然なことをしてしまうのが、われら凡人の悲しい性質だ。
 そして2500年近く前から、荘子が、人間の不自然を戒めているのは、人間の本質というものが、いかに変わらないかを示している。
 しかし、だからこそ人間であり、人間の宿命として、他の生物とは異なった自然との遊離を何かしらの方法で乗り越えていくしかなく、それこそが、太古の昔から変わらない人間の叡智だった。
 不自然を増幅させていくベクトルと、その不自然さを収斂させていくベクトル。この鬩ぎ合いのなかから、いつの時代でも、その時々に応じた文化が生まれてきた。
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