人工知能が、積極的に商業的な動機で使われるようになる転機。

人類の将来を左右するかもしれない動きが、世界中の人たちが瞬きしているあいだに行われていたと、後から振り返った時に思うかもしれない。
 オープンAIがChatGPTの無料サービスを公開したのは2022年11月30日。まもなく1年になるが、ツイッターで2年、フェイスブックで10ヶ月かかった100万ユーザーまで、わずか5日で達してしまった。
 そのオープンAIにおいて、11月17日(金)、サム・アルトマンCEOが取締役会から解任され、それからわずか5日の昨日(11月22日)、アルトマン氏は、CEOに復帰した。復帰するだけなく、新しい取締役陣を引き連れて。その新しいガバナンスのメンバーに、ラリー・サマーズ元財務長官という大物までいる。
 土日をはさんで世の中が動き出した11月20日には、マイクロソフトのナデラCEOが、サム・アルトマンと、アルトマンに従うというオープンAIの社員をマイクロソフトに受け入れる声明を出した。アルトマンが解任されてすぐ、オープンAIの従業員およそ770人のうち700人余りが、アルトマンを解任した取締役全員の辞任と、アルトマンのCEOへの復活を求めていたのだ。
 表層だけ見れば、社長を愛する社員が、悪徳取締役たちのクーデターを阻止しようとする動きのように見えるが、背後には、ベンチャーキャピタルのスライブ・キャピタル主導で、オープンAI従業員の保有株を、企業評価額860億ドル(約12兆8700億円)で売り出す計画を進めているという金にまつわる動きがあった。
 事前に準備されていたような素早さ。この素早さと、根回しの深さが、実は、アルトマンの抜きんでた能力だった。
 サム・アルトマンというのは、もともとAIの専門家ではなく、ビジネスマンであり、投資家であり、政治活動にも熱心な人物だ。2019年には、民主党大統領候補のアンドリュー・ヤンのために資金調達の会を開き、2020年には、民主党大統領候補のジョー・バイデンを支援するために25万ドルを寄付している。
 とくに彼が社長をつとめていた「Yコンビネーター」という会社の性質が、アルトマンの能力を象徴している。
 「Yコンビネーター」というのは、一般の投資家がまだ投資を考えないような小さなスタートアップの将来性に目をつけ、数百万円程度の少ない金額で投資を行ってきたが、その強みは、世界最強のスタートアップ支援ノウハウにある。
 赤ん坊のようなスタートアップが、一般の投資家たちが関心を持つようになるまで育てる能力と、投資家たちとのマッチング力が優れている。スタートアップの運営者たちが、投資家まわりなどせず自分の仕事に専念できるような環境を整え、さらに、その決定スピードや環境を整えていく速さが知られている。
 これまで3,000社以上に出資し、そこからAirbnb、Dropbox、Stripeなど世界的な企業が育ち、出資した企業の時価総額を合計すると約70兆円を超えているとされる。
 産声をあげたばかりのオープンAIを軌道に乗せてきたアルトマンの能力は、そこにあった。
 なぜなら、2015年に立ち上げられたオープンAIは、人類全体に利益をもたらす人工知能を普及・発展させることを目標に掲げ、AI分野の研究を行っている非営利法人だったが、その研究のために莫大な資金を必要とする内部矛盾があったからだ。
 当初は、10億ドルという寄付があったようだが、それでは足らず、オープンAIは、2019年、営利部門の会社を設立し、投資家の資金を得るようになり、開発した成果はライセンスやサービスの一部を外部に提供して収益化を図るようになる。
 同じ年、Yコンビネーターの社長だったアルトマンは、OpenAIにより注力できるように、Yコンビネーターの会長職に移行した。
 この動きのなかで、とくに大きな出来事は、マイクロソフトから100億ドルを超える資金を得たこと。その見返りとして、マイクロソフトは、OpenAIが開発する最新のソースコードにアクセスする権利を保有している。
 これらの資金調達のスキームを描いたのが、アルトマンだとされる。
 そして、今回の騒動で、アルトマンについていくと宣言した従業員たちの雇用は、新しく立ち上げた営利法人で行われている。そして、この営利法人の株を、従業員は保有しているし、アルトマンも、Yコンビネータ経由で出資を行っている。 
 こうした複雑な構造だが、オープンAIの旧取締役のガバナンスは、一般企業のように株主重視ではなく、人工知能の安全性に比重を置いていた。
 とくに重要なことは、オープンAIというのは、汎用人工知能を目標に掲げており、これはもうSFの世界であり、人間が実現可能なあらゆる知的作業を理解・学習・実行することができる人工知能の開発だが、これまでの取締役のガバナンスにおけるオープンAIは、汎用人工知能が完成した際は、それを営利法人や他社にライセンス提供はしない規約となっていた。
 汎用人工知能が実現する前の、チャットGPTのように”便利に使える人工知能”のみを営利法人に提供することとなっている。
 今回、アルトマンの解任を主導したとされるのが、イリヤ・サツキバー氏で、クーデターを起こした悪人のようにも見えるが、実際は、そうではない。
 彼は、カナダのトロント大学でAIの世界的な権威として知られるジェフリー・ヒントン博士とともに研究を重ね、アルトマンと違って本当の意味でAIの専門家だ。彼が、2015年に当時働いていたグーグルを離れ、オープンAIの設立メンバーになった時、その動機として述べたのは、グーグルや他の会社と違って、オープンAIには、商業的な動機では決して動かない理念があるということだった。
 今回の騒動の後、このイリヤ・サツキバー氏は、今回のアルトマンの解任を後悔していると述べているが、それは、クーデターが失敗したからという単純な理由ではないだろう。
 アルトマンの動きを止めることが目的であったが、それに失敗したどころか、ラリー・サマーズ元財務長官を含む新しい取締役メンバーを、オープンAIの中に引き込むことになってしまった。
 この取締役メンバーでは、もはや、当初のオープンAIの理念は守れないということを、イリヤ・サツキバー氏は理解して、後悔しているのではないかと思う。
 今回のアルトマンの解任から復帰への動きのなかで、鍵を握ったのが、圧倒的多数の社員たちの動向だった。
 彼らが、アルトマンとともに、マイクロソフトに移るというのは、莫大な支援の見返りにOpenAIが開発する最新のソースコードにアクセスする権利を保有していたマイクロソフトという一営利法人が、OpenAIの成果を独占するということになる。それならば、アルトマンを牽制しながら、これまでの取締役メンバーで、OpenAIの体制を維持した方がマシ。
 しかし、それすらできないという結果になってしまった。
 アルトマンについていこうとした従業員たちは、OpenAIの理念にもとずく非営利法人に雇用されているのではなく、収益化によって待遇も変わってくる営利法人の側で働いているし、株も所有している。しかも、その従業員株を、スライブ・キャピタル主導で、企業評価額860億ドル(約12兆8700億円)をもとに売り出す計画が進められていたのだ。
 従業員たちも、アルトマンが追い出されて自分たちの株を現金化できなくなるのも嫌だけれど、仮に自分たちが集団でマイクロソフトに移って、OpenAIの株が紙屑になってしまうと損だという判断はあっただろう。
 だから、あれだけ敏速に、集団でマイクロソフトに移る可能性を発表したのは、旧取締役たちに対する揺さぶりだったのではないか。というより、そうしたスキームは、すでにアルトマンによって描かれていたのではないだろうか。
 全従業員を受け入れると発表していたマイクロソフトのナデラCEOや、新しくOpenAIの取締役になるラリー・サマーズ元財務長官などに対する根回しも、すでに行われていたのではないか。
 旧取締役は、うまく城から導き出されて、隠れていた敵に滅ぼされてしまった。
 しかし、人工知能の安全性を最優先するというOpenAIの理念と、人工知能を開発するためには莫大な資金を必要とするという内部矛盾を抱えたまま、ずっと続けていけるわけがなく、こうした騒動は、いずれ必ず起きることだったのだろう。
 人類は、ダメだとわかっていながらも、その方向へと突き進んでしまう。これは、現代に始まったことではないけれど、人工知能という人類のアイデンティティそのものに関わる問題なだけに、他人事にはできない。
 とはいえ、人類の未来を左右するかもしれないような出来事でも、これだけの速度で進行してしまうと、圧倒的多数の人は、微風が顔を少し撫でたくらいの感覚しかなく、今回のことは、すぐに忘れるだろうし、そもそも、気にも留めていなかったり、まったく知らないという人もいる。
 戦争が始まる兆しも、きっと同じで、誰もがわかるような危機的な状況になった時に、警鐘を鳴らしたり反対を叫ぶことは簡単なことで、それでは手遅れなのだ。
 いずれにしろ、今回の騒動の結果、オープンAIに、人工知能のビジネス化を制御することのない体制が出来上がった。
 そして、この高速回転のなかで立ち回っている人達のことを、遠い世界の出来事として見ている人たちは、思いもかけぬ速さで AIが進化して次の段階が訪れるというリアリティを、まったく感じていないだろう。

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