日本人の精神的ルーツと、丹生都比売と空海の聖域
高野山の麓の丹生都比売神社と、丹生都比売が降臨した場所とも伝えられる紀ノ川ほとりの丹生酒殿神社へ。
丹生都比売神社は、丹生酒殿神社の真南の山中に位置しているので、丹生酒殿神社は里宮で、丹生都比売神社が山宮という説もある。
丹生都比売は、丹生酒殿神社の背後の榊山に降臨した後、大和地方や紀伊地方を巡幸して、人々に機織りや糸紬ぎ、農耕や煮焚等の衣食に関わる事を教え、最後に、丹生都比売神社のところに鎮座したとされるが、丹生都比売が、紀ノ川の水で酒を醸した事から、丹生酒殿神社と呼ばれるようになった。
丹生都比売の別名は、稚日女尊(わかひるめのみこと)であり、この女神は、神話の中で、アマテラス大神と一緒に機織をしていたところ、スサノオ が、皮を剥いだ馬を放り込んだため、驚いて死んでしまった。
皮を剥いだ馬を放り込んだというのは、太陽神に対する馬の犠牲祭事を意味しており、これは、5世紀後半、長野の伊那盆地や九州の日向地方で行われていた。
馬の利用というのは、同じ時代に各地に広がった鋳鉄技術と同じく、古代の産業革命にあたり、これは、5世紀に渡来人が大挙してやってきた時に起きた。
スサノオ というのは、大自然の荒ぶるを象徴する神ではなく、文明化による旧秩序の破壊と関連する荒ぶる神である。
このスサノオの狼藉で死んでしまった稚日女尊=丹生都比売というのは、旧秩序の祭祀の要にいた口寄せ巫女を象徴している。この巫女は、自らが犠牲となって世の安寧を祈る存在でもあった。
そして酒というのは「避け」であり、邪霊を避けるためのもので、現在でも、酒は清めのために用いられている。外交(接待)で用いられるのもそのためであり、現代でも、未開の社会において、外からの来訪者がその世界に入る際には清めのための酒を提供されるという古くからの習慣が残る。
丹生都比売や稚日女尊といった古代の巫女を象徴する女神は、地域によって異なる名前をもっており、京都の亀岡あたりでは野椎神、四国では大宜津比売、但馬では伊可古夜比売命、丹後では豊受神、福知山あたりでは保食神、伊豆大島では波布姫、神津島では阿波姫、伊豆半島では伊古奈比咩命、吉野川流域では、天津羽羽神、いずれも大山祇神(伊豆地方では三島明神)や、三島溝杭とか賀茂建角身命といった、古代の「渡しの神」の妃神となり、その娘が、玉依姫とかコノハナサクヤヒメという名前で象徴される女神で、天孫降臨のニニギで象徴される、後から日本にやってきた存在と結ばれるという形をとっている。
近年の遺伝子研究で、日本人の遺伝子は、従来考えられていた二重構造(縄文時代と弥生時代)ではなく、三重構造(縄文時代と弥生時代と古墳時代)になっていることがわかっており、ニニギに象徴されているのが、古墳時代に大挙してやってきた渡来人で、この人々が、それ以前の人々と交わって形成されてきたのが、日本人であり、今日まで伝わる日本文化。
丹生都比売という名に示されている丹生は、辰砂(硫化水銀)のことであり、縄文時代の土器などにも辰砂で着色されたものが出土しており、かなり古くから利用されていたことがわかる。
また、魏志倭人伝において、卑弥呼のクニでは、辰砂が採掘され、辰砂で刺青がなされているという記録も残っている。
丹生酒殿神社の境内には御神木の大銀杏があるが、社伝によると樹齢800年と伝わるが、丹生酒殿神社の境内社の鎌八幡宮は、イチイガシの大樹を御神木としている。そして、この大樹の幹に鎌を打ち込んで願掛けをする信仰がある。
なんとなく京都の貴船神社の丑の刻参りのようで怖いが、そういう呪いを目的にした祈祷は不適切だとされている。
もともとは熊手八幡宮と称されていたようで、 酉の市の熊手と同じく幸運をかき集めるように、無病息災、子宝、受験諸々の願かけが行われている。
鎌が落ちてしまうと願いは叶わない。だから、鎌が樹に深く入りこむほど、願いは叶う可能性が高くなるということらしい。
丹生都比売神社の後、高野山へ。
高野山は、2010年から4年連続で年末年始の山籠りをした。その時、東北大震災など様々な出来事があった。
その後も、年末年始ではないけれど、時々、訪れていたが、コロナ禍となってからは、しばらく遠ざかっており、久しぶりの訪問。
観光客が増えていると聞いていたので、雰囲気が変わっているかと思えばそれほどでもなかったので、一安心。ここは、私にとっても心の聖地。
奥の院を歩いている時、時折、フランス語が耳にはいる。
パリでオリンピックが開催されていても、日本の奥の院に足を運ぶフランス人は多いようだ。日本中どこでも大きな声で歩いている中国観光客は、不思議なことに、高野山にはあまりいない。
空海が高野山を聖域とする際に地主神たる丹生都比売神社から神領を譲られたとする伝説がある。
この伝説は、空海と丹生都比売の関係の深さを物語っているが、上に書いたように、丹生都比売というのは、西暦5世紀頃に渡来人が大挙してやってきた時に起きた文明化の以前の日本の祭祀と関わっている。
つまり空海の真言密教は、縄文時代や弥生時代という日本の古い時代の精神的エッセンスを引き継いでいる。
空海の百年ほど前に活動した修験道のパイオニアである役小角が、吉野の金峯山で修行中に示現した蔵王権現は、釈迦如来、観音菩薩、弥勒菩薩の統合で、それぞれ過去、現在、未来の守護者と理解されているのだが、さらに、神道において蔵王大権現は、オオクニヌシやスクナヒコ、ヤマトタケルと習合し、同一視されている。
「権現」とは、「権(かり)の姿で現れた神仏」の意味であるから、蔵王権現は、仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しており、日本において縄文時代から脈々と伝わってきたスピリットの総体だ。
空海は、密教を習得するうえで、この修験道を重視した。
最澄は、密教を学ぶために空海を頼ったが、修験道を軽視し、経典から学べると考えていたため、空海から無視された。
空海の密教は、金剛経曼陀羅と胎蔵曼荼羅を統合する境地であり、その要に大日如来が存在するが、全ての仏は、この大日如来の化身とされており、その意味で、密教の大日如来と、修験道の蔵王権現は、共通するところがある。
役小角の修験道も空海の密教も、日本の縄文や弥生時代に遡る 日本古代の精神を、中世から近世へと橋渡しをした。
明治以降、急速に、その精神のエッセンスは失われてしまったが、150年ほどのブランクであり、再び、それを取り戻すことは不可能ではないだろう。
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