眼鏡と運転と「強大な力を手に入れる前の代償」

 SFをたしなむのでよく知っている。「強大な力には代償が付き物である」と。
 脳に端子を差し込み、全ての力が上昇したかのように見えたが、その実心や脳(例えば記憶など)に不可逆な傷を負い、後悔しながら生きていく、ような。

「SFでさ、よく『代償が』……」
「前。トラックが出てきてる」

 人生初の、眼鏡を付けた状態での運転。脳の奥深くがむずがゆくなる感覚と共に、センターラインに沿って、細かく、無駄なく、ハンドルがさばかれていく。腕が自分のものではないみたいだった。
 ぶれない視界に映る全てから必要な情報だけ取り出し、助手席の母に話しかけ、ハンドルをとり、ペダルを調整してなお、脳内のリソースには空きがある。
 冷静そのものだった。まるで冷徹な機械のようだった。

 不安を感じないことが不安だった。

 私は知っている。こういう時、視聴者のコメントで「こいつ20話目くらいで離脱するんじゃ…」と書かれることを。

「よくアニメで……」
「そんなのいいから。うどん屋は左にあるからね」

 目的地のうどん屋に着いて、眼鏡を外し、席に着いて、母から面白おかしく先ほどの話の続きをねだられた。
 だがその時の私は憑き物が取れたように空っぽで、頭も上手く働かなかった。
 眼鏡をかければ饒舌になったのかもしれないが、あいにく眼鏡は運転用だ。

 ぽつぽつと、情けなく話した。
 デバイスを外し、かかっていたブーストがなくなったように。その時は、そんな風に例える余裕すらなかった。

「代償とかはよくわかんないけど、むしろ眼鏡をかけてない時のほうが代償払ってたと思うよ?」
「え? そう?」
 そう、かもしれんな。
「そうかもしれん。いや、うん」

 思い返す。今までの、この数年間の私の運転を。300回以上のヒヤリハットを。
「事故とか」
「そうそう、事故してないだけいいじゃん」

 いや、二回ほどぶつけている。対物で、黙ってもらっているからいいものの、もしかしたら対人の事故を起こしていたかもしれない。
「事故はしたもん。バイクに乗ってた時も、何回も滑ったし」

 母は困ったように苦笑いを浮かべた。事故を思い出した私の顔がくしゃくしゃしていたのかもしれない。
「これからはさ、眼鏡があるからいい、って思わないと」
 そう、だよな。

 うどん屋を後にする。

 人生二度目の、眼鏡を付けた状態での運転。脳の奥深くがむずがゆくなる感覚と共に、センターラインに沿って、細かく、無駄なく、ハンドルがさばかれていく。
 日が落ち、薄暗くなる道で、脳内リソースの余裕は先ほどまでと違ってほとんどなかった。ぼんやりする。
 いつもだったらセンターラインも信号も前の車も、一切合切が二重三重に見えていて、片目運転を決め込んでいた所だ。そんなことすら忘れる。
 結論から言うと、大丈夫だった。ぼんやりするのを補うように、視界はクリアで、問題なくハンドルをさばける。信号で眼鏡を上げ、休憩しながら、無事に家に帰りついた。
 ああ、普通の人はこんな風に運転しているのか。今ようやく、普通免許取得者と同じラインに立てたのか。


 SFをたしなむのでよく知っている。「強大な力には代償が付き物である」と。

 この日知った。「代償を払っていたのはむしろ強大な力を手に入れる前だ」ということを。


 眼鏡買ってよかったなあ。