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私たちが苦手なことに適応しようとしてる間に起こってること

人生のある時期から、わたしは「苦手なことに適応しようとしてる間に、人生は終わるんじゃないか」と思うようになりました。

というのも、人に与えられた時間は、自分が見積もってるほど無限ではないことを実感したからです。

人生のある時期、軽自動車に一切の家財を乗せ、住まいは病院だったことがあります。郵便物を届けてもらう住所がなかったので、病院に転送するように手続きした時、「ギリセーフってこういうことか」と実感しました。

その時に初めて、「生かされてる」という感覚を持ったのですが、以来、人の人生は有限だということを意識して過ごすようになりました。

急になんだ、せっかくの連休なのに、と暗い気持ちにさせてしまったかもしれません。

でも、いつもの日常に飲み込まれる前に、立ち止まれる時に考えた方がいい。

苦手なこと、嫌なことに適応しようとして、自分の心を殺して過ごしてませんか?ということを。

自分が生きてる時間というのは、意外と短く、ぼうっとしてる間にも時間は流れ、朽ちる仕組みの中に私たちは生きています。

判断を先延ばしにして、なんとなく過ごすのも1つですが、そうこうしてる間にも時は流れ、不確定な未来に不安を抱きながら過ごすのは、ただ単に「それで納得できるのか」と思うのです。

苦手なこと、嫌なことに無理して適応しようとしてる間、私たちの心は麻痺して、自分の気持ちを見つめる習慣がどんどんなくなっていきます。

自分は本当はこういうことがしたい

というのが、実は誰しも奥底の方に眠っており、見て見ぬふりを長年続けてきた結果、それが何なのかがわからなくなってる人が多いんじゃないかとよく感じます。

自分はこういうことがしたい
でも今はそのために〜してるんだ

という考えがあれば、素晴らしいです。

でも大抵の人は、判断できる材料を見つけようとしていないから見つからず、日常を変化させることに恐れがあり、「今の暮らしが十分」と信じるようにして”見なかったこと”にしています。

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