ミニマリストの私が片付けする時は
皆さんは、どんな時に「よっしゃ!気合い入れて片付けるぞ!」となるのでしょうか。
最近、周りの人たちを観察するに「よっしゃ!と気合い入れる派」と「淡々派」に分かれていることに気づきました。
気合いを入れる「よっしゃ!派」は、何らかの外部要因によって「よっしゃ!」となることが多いようで、「淡々派」はひたすら淡々としている印象を受けます。
よっしゃ!派は、外部からの刺激がないと行動したくならないらしく、なかなか片付けが捗らないのが弱味のようで、一方の淡々派は要因が何もなく、自分の主体と合理性で行動しているようなので、結果を比較してみると「淡々派」に軍配が上がりそうです。
私自身も「淡々派」の原理主義者につき、外部で何が起ころうが、雨の日も風の日も何も微動せず、自分のやるべきことをコツコツと積み重ねて行くのみ…と考えているタイプなのでよっしゃ!派の一派の行動が、かえってマメに見えてくることも多いです。
片付けなんてほぼ100%自分で決めることなのに、外部からの刺激がないと行動がおろそかになるって、私は結構不自由そうだなと感じるのですが、そういうものでもないんでしょうか。
いつ雨が降るかわからん、のようなお天気予報感があります。
最近、YouTubeの音声でも録音したことですが、「やる気とは幻」であるらしく、やる気やモチベーションなどの外部から届くであろう…というのは、どうやら幻影のようです。
↓こちらに書いてございました。
ということは、ただ単に「やる気に期待しないほうがいい」ということですね。
ここからは「私が片付けする時は」というタイトルを付けたのを思い出したので書くのですが、私自身が片付けをする時は、ただ単に気分転換したい、とか、目に入ったから整理する、というだけのことが多く、虫がいたら外に出すとか、雨が降ったから窓を閉めるなどの一連の動作と似たところがあります。
あんまり考えていないというのが実情です。
なので「よっしゃ!派」の気合いのエネルギーというのは、結構相当なものなのだろうなぁと予想します。
その人が何を褒美として行動しているかによって、行動の火付けというのは変わってくるようで、よっしゃ!派は「私頑張っている」という肯定感が必要なので、心の火を燃やしているようなところもあるのではないか、と私は見ています。
淡々派は一切そういうものを求めておらず「ただ単に自分がやりたいからやっているだけ」というシンプルさがあり、人間の根源的な欲求のありかを意識せざるをえません。
その人が何を求めて、もしくはどこを満たしたくて行動しているのかは、本当に個人個人違います。
なので、「何を満たしたいのか」さえ自覚できていれば、あとは行動が自然に付いてくるようだ、というのも上記の本で学んだことです。