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悩んでいる間も時間はただ過ぎるから、まず何か決めた方がいい

日常生活で「どうしようかな…」「これがあれだから…」と、考えたり悩んだりする時間って結構多いです。

その時間はまるで探し物をしてる時間と似たような感じで、「しんどい割には無駄」ということがとても多い気がしています。

なので、ぐるぐる考えたり、止まって考えている間にこそ「こうしよ」と自分で素早くジャッジ出来た方が、気持ちも清々しいよね、ということを思いました。

人って(と主語を大きめにしますが)、悩んでいるように見えて、同じことをずっと考えていることを「悩んでいる」と認識してしまってることがほとんどな気がします。

今日の晩御飯どうしようかな〜使い切りたい食材あるし〜でも食材の買い出しには何となく行っておきたいし〜今日の晩御飯どうしようかな〜(リピート)

という「どこかを決めたらスムーズに流れるのに」という真理に逆らっているから、滞りを発生させてしまってるってことが本当に多いんじゃないでしょうか。

どこかを決めたらスムーズに流れる

これは結構大切です。上のお悩み例でいえば、

・使い切りたい物で晩御飯を作ると決める
・思い浮かばないので今日は晩御飯を作らないと決める
・買い物に行って安い物で作ると決める

この辺りを決めれば、滞りなく物事は流れていきます。思い浮かばないので晩御飯を作らないと宣誓する、は結構激しいですが、それも一つの選択肢です。

「する」ことを決めるのも大事ですが、「しない」ということを決めるのも同じくらい大切ですし。

でも「しない」ということも決めずに、「ああ〜どうしようかな〜」という時間が少しでも長く発生すると、どうもそこから抜け出しにくくもなるようなのです。

むしろ、浸かっているのが心地よくなってくるのかもしれません。

決める

というのは、不慣れなうちはエネルギーがいることです。でも慣れてくると、すぐに決められるようになっていきます。

今日は化粧水をつけるか、つけないか

そういうことでずっと悩んでいる人は多分いないですね。つける人はルーティンでつけるし、つけない人は「使わない」と決めているからです。

肌がモチモチになることを期待して付けたり、つけることになってる、という習慣で付けてる人も多いかもしれません。理由は人それぞれです。

それを「やる」と決めている理由は人それぞれです。

でもそこで、自分が決める理由を見つけられないから決めることが難しいのに、「どうして決められないんだろう…」となると、さらに悩みの階層が高くなり、より解決も難しくなるので「どうしたら決められるか」にひたすら焦点を合わせるのもかなり重要です。

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