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【かぜたみ日記】グッドなライフって、どんなライフ?

こんにちは、かぜのたみです。
雨の日はなぜか文章が書きたくなり、梅雨入り時はnoteの更新がはかどります。

最近時々、思い出したように由来を書いたり、話したりしてるのですが、今回はブログのタイトルになっていた『ミニマムなライフ』の由来について、なんかふと思い出したので、書いてみたいと思います。

私が『ミニマムなライフ』という、ふざけたサイト名のブログを立ち上げたのは2018年のことです。

今ではメンテナンスが追いつかずにクローズしてしまいましたが、そういやあったなぁ、とそこから全てが始まったことを思い出しました。自分にとっては跡地のようなものです。

ミニマムなライフという名前・・・

ブログのタイトルをつける時、なんとなく浮かんだのが、昔よく聞いていたバンドの『チャールストンのグッドライフ』という曲でした。

歌っているのはD.W.ニコルズというバンドで、たまたま、音楽番組のディレクターの知人が近所に住んでおり「ニコルズ、熱いわ〜」と話していたところから知りました。

ディレクターが仕事用に持ち帰ったニコルズのCDを借してもらい、なんとなく聞いてた私ですが、そのうちの一曲が『チャールストンのグッドライフ』という曲で、1000回以上リピートして聴いた記憶があります。

当時、私は受注する仕事もないのになぜかフリーランスとして独立し、都内だけど郊外の、多摩川が近くにある、今どきほぼない”●●荘”という名前の木造ボロアパートでせっせと原稿を書いていたのでした。夏は風が通らず蒸し暑く、冬は隙間風が多くえらい寒い、という自分的には「もう、、、住むのはいいかな、、、」と思い出すアパートの1つです。

たしか、東日本の大震災が起こる数ヶ月前のことです(震災時、アパートは確実に潰れると思いましたが意外に大丈夫だったことも付け加えておきます)。

当時、原稿書きのお供だったのが、ニコルズのこんな歌詞でした。

グッドなライフってどんなライフ?
ねぇ、教えてよWhat is GOOD LIFE? Mr.チャールストン
最後の最後はどんな気持ちだったの? ねぇ
「とりあえず今は転がる石のように走り続けろ。
グッドなライフは自分自身のために。自分自身の手で」

D .W.ニコルズ『チャールストンのグッドライフ』

特に好きだったのが、「グッドなライフは〜」最後のところで、不安と有り余る自由しかない生活を送っていた自分を支えてくれた感があります。

とても「自分の生活は!自分自身のために!自分自身の手で!」という確信も自信も全くなかったですが、「そうだよなぁ、自分の生活は自分で作らなきゃだよなぁ」と思いながら、懸命に原稿を書きまくっていたのを思い出しました。

グッドなライフってどんなライフ?

D .W.ニコルズ『チャールストンのグッドライフ』

ニコルズの曲が尋ねてくるその根源的な問いは、当時の私にとっては割とガツンと殴られたような感じで、それまでは会社に流され、人に流され、時間に流され、、、と流されまくっていた私に、しみじみと染み渡りまくったのです。

「自分の生活は自分で作るんやで!」という気合いをいれるために、聞きまくっていたのかもしれません。確実に、それしかないです。

そして、そこから7年くらいの時を経て、ニコルズの「グッドなライフ」を自分用に変え、『ミニマムなライフ』というブログページが生まれました。

急に「自分自身のために!自分自身の手で!」という風にいきなり思えたわけではないですが、自分のブログを立ち上げる時に「ようやく訪れた感」がありました。

どんな生活を作りたいのか、よりも・・・

自分のライフを自分の手で作るって、本当に大変です。

仕事やお金、人や時間。いろんなものに流されたり、感化されすぎたりして、自分を見失ったりして、本当に大変。

ハッと気づくと「あれ・・・自分は一体何をしたくて働いてるのか」とか、もっと深まると「何のために生きてるのか」みたいな感じになって、日常生活に浮上するのがいよいよ大変になります。

そこまで落ち込まないためには、やっぱり「自分の手で作る!」という感覚が必要なんじゃないかなと思います。誰かや何かに頼りすぎず、が一番です。

でも、自分の力で作りたいけど、自分の力がどうしても信じられない時、「自分なんかに作れんのかな」と不安に思います。当然です。それまで自分で作ってこなかったのだから。

ですが、そこから抜け出るには、本当にひたすら何かをやり続けるしかないのです。一つひとつ、石を積むように経験を積むこと。そこにコツやアイデアはありません。

私的には「ひたすら、積んだもの勝ち」という感じさえします。

大体の人は、楽して成果や結果だけ、手っ取り早く得たいと思ってしまうようで、積むことを放棄したり、どうにか楽できないかと画策したりするようですが、どう考えても「積んだもの勝ち」でしかないのです。

なので、今の自分の生活を変えたい!とか、自分を変えたい!とか、自分が望む暮らしを手に入れたい!という場合は、それまでその人がどのくらいのことを、どのくらい積んできたのか、に全てよる気がします。

そこで、さらに多くの人が立ち止まります。

積んできたものなんか、ないよ・・・!


なら、今から積めばいいんじゃないでしょうか。

むしろ、積んでいくしかないです。他に方法を探したいなら、これまでコツコツと積み続けた人の努力を認めてから探した方が良いでしょう。

そして私が思うに、どんな暮らしを送りたいか、よりも、「自分はどんなことを積み上げられるのか?」を大事にして過ごした方が、結構自分のライフを作れる気がしています。

私はパッとしない積み方しかできないですが、それでも石を手渡してくれる優しい人が多く、その期待に応えるため積んできただけ、という感じもします。自分で100%積み上げたのかと言われると、絶対そうではないことも事実です。

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