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ミニマリスト通信:モノ選びの時に陥りがちなトラップを回避する

久々に風呂で使っている洗浄アイテムがなくなりました。

しばらくは頂き物でまかなって来ていたのですが、半年くらいの時を経て、ついになくなったのです。

それからは、色々区分けるのがまたもや面倒になり、固形石鹸一つで、洗濯・手洗い・洗髪・洗顔・体洗い、までを回してきていました。

これはこれで別に際立った不具合はないものの、石鹸がなくなるのが割と早く(それだけ使ってるので当然)、「石鹸の場所の行き来が割と気を遣う」というのと、「新しい石鹸が必要になる」のスパンの短さを改善したい、と分業制を再び取ることにするか…と重い腰を上げ始めました。という、なうです。

分業制というのは、

例えば、洗顔は洗顔フォーム、髪はシャンプー、などに分けることを、独自で呼んでみました。大体のおうちでは、分業制を採用されていることと思います。

しかしこの便利な“分業制”にも、しんどさがあります。

種類が多すぎて何がどうなのだか、全くわからない。

です。

これに尽きます。管理が大変とか、そういう諸々は置いておきます。

スキンケア関連の種類の多さは、街で売られている靴下並みです。

日頃、スキンケアやボディケアをほとんどしない者にとって、こうした「スキンケア関連製品」の種類の多さというのは、結構衝撃的。

こんな大海原で、ブランドや価格、機能性などを考えていくと「結局何が良いのかわからない」とアイテム迷子になるのが目に見えています。

迷子にならないためには、どうしたらいいか。

というのを、久しぶりに考えていたら、「あんまり見ない」「ネットで調べない」ということに着地しました。

すぐ手に入るものを黙って使う、です。

世界にはチキンラーメンしかない。以上。

だったら、私たちも「色々なラーメン食べてみたい!」とならないやつです。

調べるから、成分が気になり
調べるから、より良いものを探したくなる

自分が手に取ったものが最適だ、と思えばそれでいいんじゃないかと思いました。

というか、元はと言えば、固形石鹸からのスタートなのです。

サイゼリヤで飲むワインから、いきなり「ロマネコンティ」とかほざくのと同じレベルのことです。これはサイゼリヤがどう、という格の問題ではありません。

なぜ、今はその地点にいたのに、見知らぬ高みを目指そうとするのか。

ということにモノ選びのありがちな問題を感じました。

「いきなり買おうとする」

その衝動性がモノ選びで陥りがちなトラップだなぁと、久々に振り返ったところなのです。

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