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なにを遺すのかは、どう生きるかに繋がってる

先日、YouTubeの方へこんなコメントが届いてふと思いました。

最近は買おうと思ったものを手に取った時にホントに欲しいかどうか問答する習慣がつきました。
もう断捨離を始めてかなり長いことたちますが、やっと片付いてきた感じです。捨ててもまた買って家に物を持ち込んでいたからです。
長い道のりでしたが、今はもう二度と溜め込まない自信があります(笑)
かぜたみさんのラジオにもだいぶ助けられました。
もう還暦も近いので、ますます物は要らないと思えます。その分貯金にせっせとまわしています。

弊ラジオもそんな人生の先輩のお役に立て、大変嬉しい限りでございます。

こうしたお話を伺うたび、わたしは知人のこんな話を思い出します。

俺のおかん、10年くらい前に50代でガンで亡くなったんやけど、そのおかんが買ってあった”アタック”がまだめちゃくちゃあるねん。古いから人にもあげられへんし、粉洗剤なんて今は誰も使わんやん。捨てるにも使えることは使えるし、でも俺も独り身やから使う量なんてちょっとやし。俺もおしゃれなジェルボールとか使いたいよ・・・!でもまだまだあるなぁ・・・・・もしかしたら、俺でも使いきれんかもなぁ・・・・

という知人の話です。

遺された人が、淡々とアタックを消費していく過程は、まだまだ”オカン”が生きているようで、なんとも言えない生活です。

遺された人が、遺したもの、しかも生活用品を使い続けるって、継承という意味合いがあれば良いのでしょうが、消費する側としては微妙な心持ちです。

でもこれ、どういうものを遺して、遺さないかの判断基準になるなぁと思いました。

ただ単に「残す」だったら、みんなで話し合いながら進めていけます。

でもそれが「遺す」だったら、完全に「託す」の意味にも変化しており、受け取る側のことも考えたら、

なにを残して、なにを捨てるか

って、日頃から考えておかんと急には思いつかないよなぁ、です。

まだ、遺す意思があって残ったものに関してはまだいいと思います。でも、大したものではないし、残ってしまった、しかも大量に残ってしまった!というのは、双方結構苦しいなぁと思うのです。

資産にしろ、遺産にしろです。

これはお品だけでなく、なんでもそうみたいなのですが、託す側って、「託す気満々!」っぽいのですが、受け取る方は結構迷惑なことが多いのは、一体どうしてなのでしょう。

よく、生前整理の現場でも「おじいちゃん、それって娘さんに確認した?」「してない」みたいなことが多発するらしく、託せばいいってモノじゃないことは、余裕のあるときならまだわかる。

でもギリギリでバトンを渡す寸前になって「頼む!!!!」は、受け継げたものも受け継げんくなりますねぇ・・・・

こういう時も、やっぱり先人というか賢人の方法を真似したいところです。

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