ミニマリスト通信:もう用のない物を一切持たない暮らし
用が済んだものとの付き合い方、というか決別のタイミングが、暮らしを左右するんじゃないかと思っています。
色々ありますね。
小さなものであれば、お弁当を買った時につけてくれていた割り箸。もしくは、コンビニで買ったアイスコーヒーを飲んだ後のプラスチックカップ。
小さな消耗品でそれも用済みなら、ゴミと認識しやすいですが、規模感が大きくなるとそうもいかなくなり、途端に判断をこじらせる人が多い気がします。
捨てられないんじゃない。
捨てる気がないんだろ?
と壁ドン彼氏のように「捨てられないんです」と仰せの方に、詰め寄りたくなります。
必要か、そうでないなら不要
小規模だと食品類、中規模だと服飾類、大規模だと家具類などというカテゴリになるんでしょうか。大規模になるほど使ったお金もエネルギーも大きいかもしれませんね。
でもどれも同じです。
使っている、必要であると以外は考慮することは何もありません。
必要と思えば、必要。
そうでないなら不要。
それだけです。
ですがここを、無理にこじつけたり、なぜかわざわざ複雑化させて考えたい人が多いようで、スッキリ暮らすということがただの憧れになってしまっている。という感じに、私からは見えます。
必要と思えば、必要。
そうでないなら不要。
不要なものを見つけようとするのもドツボにハマりやすいトラップです。
スッキリライフ初心者ほど、不要なものを見つけようとするのはなぜでしょうか。
なんで?
必要なものをピックアップ。
それ以外は不要。
このくらいの潔さで身の回りを見てみると、必要なものはそれほどないことに、簡素な暮らしを送っている人は気づいています。
不要なもの=必要なもの以外
あと、判断ができないものに関しては、全部「捨てる気がないんだろ?」で終了です。
本当に、本心から「変わりたい」と考えている人は、四の五の言わずさっさとたくさんの物や事と決別していきます。そして、さっさと自分が求めるステージへとちゃっちゃと上がっていくのです。
本心では変わりたくない人は、本当に、本当に何もしません。
自分にとって必要なものを整理するというのも、日常的にできる「自己変革」だから、これほどまで世間の熱が下がることがないのでしょう。
環境ごと変える
物の見直しが難しい場合は、一気に環境ごと変えようとすると手っ取り早いというのも、実行する状況にある人なら気づいています。
もう物の問題ではなく「どこで自分がなにをすればいいのか」というビジョンが見えている人は、ライフスタイルを形作るのも、持ち物を判断するのもとても早く的確です。