ミニマリスト通信:ドケチ月間を終えた感想
この2ヶ月くらい、支出をメモするという地道な作業を続けています。
なぜなら12月はドケチ月間と称し、「ドケチに暮らす」をテーマに過ごしているからです。
なので、買い出しに行ったらメモ、郵便を出したらメモ、と<金額+何に使ったかを軽く書くだけ>の超絶簡単な書き残しをし、自分のドケチぶりに拍車をかけるということを続けていたのですが。
書き始めた1ヶ月目はまだ普通に書いていたものの、だんだんと自分に変化が起こってきました。
書くのが面倒なのです。
いえ、細かくお伝えすると、書くのが面倒だけということではなく、お金を使うことが面倒になってきています。
家計簿を付け始めると毎度起こる現象なのですが、自分の場合、記録しないでいいよう支出しなくなる、という謎の現象が起こります。
一般的な感覚であれば、おそらく「支出したけどちょっとだったから、書かないでもいっか」とか「書くのが面倒になった」というのが普通なのかもしれません。
なので、ミニマムに暮らしてると(というか、ただのドケチ)、きっとここが違うのかもしれん、と思いました。
書くくらいなら、もう使わんでええ
いかにも消費への積極性を極端に手放した結果である気もしますが、もしこれが万人にも起こる現象なら、かなりの凄技節約術だと言えます。
メモするだけで購買意欲が極端に下がるなんて、節約王もびっくりです。
食材の買い出しは頑張って行ってましたが「いかに買い物回数を減らせるか」を、今月から工夫し始めるようにもなりました。
前までは、そんなこと一ミリもしてなかったのに。
それもなぜなら「お金使わないデイ」を記録する方が楽しくなってきたからです。今のところ、お金使わないデイは週に多くて3日、少なくて2日はあり、「¥0」と書いた時には結構な達成感があります。
それに別にお金を使わなくても、特別不自由が発生してるわけでなく、いかに何だか微妙な無駄なお金(というかお金を使うというエネルギー)を使っていたのかと振り返ると、他のことに使えばよかったか…とふと思う瞬間も訪れます。
そうなると、さらに積極的に支出をしなくなり、他のことにエネルギーを純粋に注ぎ込めるようになりました。
まさしく「選択と集中」そのものです。
支出メモ、おそるべし
支出も出ていく月と出て行きずらい月があると思いますが、その辺りのメリハリ付けも気をつけるようになりました。
今は世の雰囲気がまた「おや…」という感じになっているのもあり、再び巣ごもりか…というのもあるのですが…。
であれば無理に使わなくてもよく、自分が必要なことの勉強を粛々と進めておればOK、という非常にシンプルな暮らしになってきたので、より生活が楽になってきた感もあります。
ちょっと運動がてら買い物しよ
コンビニちょっと寄ろう
出かけたついでに買っておこう
たまにはちょっとお茶しよう
こういう感じで、「必要なくもないが、別に3回に1回でいいだろう」ということが本当にたくさんあったのでしょう。
そして大体が食べ物か飲み物です。
それらは別になくてもよし、ということを今年はコロナが身を呈して教えてくれたこともありますが、そういう「日常の色々」は支出メモをとっていると、より顕著に感じられるようになりました。
今月は現金をほぼ触っておらず、取り置いておいたお金もほぼ未着手なので、それでも暮らしていけるんだなぁと不思議な感覚です。