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ミニマムなライフ〜より適当で自由な生き方〜

この原稿は、昨年私が出版の企画を考えていた時に作っていたものです。出版する機会がなかったので、noteに掲載する事でお炊き上げします。原稿にしては荒削りではあるのですが、それも当時の温度感の一つとしてあげちゃいます。音声もあるので、ぜひセットでお楽しみください。



第1章 身軽と自由への道①不用品を捨てる

「スッキリした暮らしを送りたい」そう思ったらすぐに実行できること。それが生活を送る中で、 チリのように積もって来た細かなものを見つけて手放していくことです。ついつい溜めてしまう物 は、知らず知らずのうちに自分の頭と暮らしを圧迫してしまってるもの。この章ではまず身軽で自由な生活を送るストレッチとして、こうしたものを手放すことからスタートしたいと思います。

▶︎明らかな不用品を捨てる

コンビニのレジ袋、雑貨や化粧品を買ったときの紙袋、お弁当を買った時の割り箸やお手拭き、 プレゼントにもらった時に梱包されていたリボン......。なんとなく取っておきたくなる気持ちは わかりますが、こうしたものの管理に手と時間、工夫を割くのは私は不要と考えています。

なぜなら、次々とまた新しい物が現れるからです。

蓄積しやすいものは、処分しても全く問題なく、手元には特定の数で「●つ持つ」と決めてあとは処分したほうが気持ちも部屋もスッキリします。

何より溜めたことによって、自分で自分に「使わなければならない」という義務感をつけてしまってるのが、私は不自由だなと感じます。せっかくなら「使いたい」と思ったものを使えたほうが楽しいです。

直近で使う予定がなく、しかも蓄積されていきやすい物はすぐ処分でOKです。 もし迷う物が出てきたら、しまいこまず、置くエリアを決めて目立つようにおいて置くと自分の頭の整理ができて便利ですね。

▶︎溜まっていくのものはほぼ捨てても支障ないもの

使う量よりも入って来る量が多いと、当然ですが溢れます。溜まっていくスピードが早いものは、 どんどん使っていかなければスムーズに物が循環しません。なので、ものすごく紙袋を使うとか、 割り箸を使うなどしない場合は、捨てて問題なしです。

溜めておくことによって、自分で「使う仕組みづくり」まで構想を立てられればいいですが、大抵の人は「なんとなく取っておく」で、部屋の小さなスペースでも溢れる原因になっている気がし ます。 ”溜まっていくものは処分して良い”として、考えずに「とりあえず取っておく」ことをやめると、 他の物についてもそうした「とりあえず癖」が激減し、部屋がかなりスッキリするはず。

その際、あちこちランダムに見ると気が散るので「今日は台所」「今日は洗面所」など場所(ジャンルごと)に見直すのが早くてスムーズでオススメの方法。台所なら、スーパーの袋は使い捨ての箸やスプーン、おしぼり、洗面所なら試供品のコスメやシャンプーが溜まりがちなので、それらをよく把握で きるようになります。

▶︎使っている、使っていないを見る

わたしが暮らす部屋は物が少ないですが、おかげでいつも身の回りにある物を、使っている・使っていないという視線で見ていることに気づきました。

使っている→いつ頃どう使ったか
使っていない→なぜ使っていないか

ということを自分自身で頭の片隅で把握できるくらい、物を持つ理由がはっきりしています。

そして「使っている・使っていない」を見るときに気をつけたいのが、物の見方。だいたい物が単体で活躍することはごく稀で、何かとペアで活躍するようにできています。

例えば、石鹸と石鹸置き、 包丁とまな板など。使っていない物が1つあれば、そこと連動して不要なものが芋づる式に出て来る場合が多いです。石鹸を使わなくなったら、石鹸おきが不要になる、などが実例です。

逆に物があるだけで、使っていないにも関わらず「これを買えばより便利になるかも」と、さらに物が増えてしまう原因にもなります。 

例えば、冷蔵庫を持っていたら電子レンジはセットでないと、冷蔵庫の良さがいまいち活かされません。うちは冷蔵庫も電子レンジも両方ありませんが「全体的に」無くしたためです。

 何かを単体で手放そうとするのは意外と難しく、トータルで「使う・使わない」を見た方が物の整理ははかどります。

第2章 身軽と自由への道②生きている物はどれか

前章で「最低限のスッキリ」を作り出せました。
ここからようやく、物自体の「必要・必要でないか」を見て行きたいと思います。急に「いつ必要か、それとも使うのか」を考えるとハードルが高すぎるので、自分がいつもやっている必要な物の選別の仕方をご紹介します。

▶︎自分が持つ物を決める

自分が使う物、使っている物を実際にざっと出してみます。物を動かすのは大変ですが、動かすの が面倒な物はそれほど必要ではない可能性もあります(大きくて動かしたくない物は別です)。

自分が持つものを決めるとき、正直「触るのも面倒だな」というものが出てくれば、それが暮らしの元凶になっていることが多いかもしれません。

自分はこれを使う・使っているという物をある程度、頭の中で決めておくと、ごちゃごちゃ他のことを考えなくていいので気持ち的に楽チンです。「ちょっとラベリング」くらいはしておくと気分がスッキ リします。

あとは持つ物を決めるときに混乱しがちなのが、「過去使っていたけどいま使わないもの」や「今使っていないけど未来に使うかもしれないもの」の判断です。

それを雑多に「使うかもしれないもの」とすると混乱の元。そうした時には物を「過去・今・未 来」と分けてあげるとかなり物のカテゴライズが楽になります。

過去使っていて今も使っているもの→今
過去使っていて今は使わないもの→過去

今は使っておらずもしかしたら使うかもしれないもの→未来

このような感じの区切り方です。

これでだいぶん「必要かどうかわからない」というものも判断がつけやすくなったのではないでしょうか。不確定な未来、もう不要な過去の物で、今使っていないものはつまり不要と私は考えています。

▶︎使うシチュエーションが浮かぶ物をピックアップ

物を見て「具体的に使っているところが浮かばないものはアウト」な気がしていて、ただ持っているだけの可能性が高いです。 少ないもので暮らすには、物の具体的な利用用途に集中する必要があるので「なんとなく」を生活に抱えていること自体がもう面倒になります。

使うもの、使っているところが明確に浮かぶものが「自分にとって必要なもの」というのを自分の中での線引きにしています。

▶︎置いておきたいもの

よく物を選ぶときに混乱しがちなのが「感情と思考の混線」です。

「ただ使わない」のなら思考の判断ですが、もし「持ちたい」のなら感情の問題です。ここを分けずに考えると「高級なバッグを手放せないのですがどうしたらいいでしょうか」(本当はおそらく持っていたい)という悩みに繋がるような気がします。

自分が「(使わないけど)置いておきたい」というものは、感情の踏ん切りがつくまで目のつくところに置いておいたり、何か自分的に”気が済むこと”が見つかるまで待つといいです。

わたしはあまり物に感情がうつらないタイプなので、ただ使うか使わないかで判断していますが、 情が厚い人や感性が豊かな人は、モヤモヤしがちかもしれません。自分なりにスッキリ手放せる方法が見つかるといいですね。

第3章 身軽と自由への道③必要の可能性を見る

自分が「これは必要だ」と感じたものも、さらに見直しすることが大切で、この過程こそがミニマ ムなライフのメインだと私は考えています。自分が感じる「必要」は”本当に”必要なのかを、この章では振り返ってみましょう。

▶︎使うものと使いたいものの区別をつける

自分の手元にある物を、まじまじと見てみると「使う」と一言に言っても、そこに「実際に使うもの」と「使いたい」と思っている物、に分けられることに気づきます。先ほどの「置いておきたいもの」と同様です。

使うもの(思考や状況)と使いたいもの(感情)は全く別のもの。

取り扱いも普段の生活での付き合い方も全く違います。 使っているところを想像するだけでテンションが上がるものは、使わなくても「使いたいもの」。 

私は全般的に「実際に使うか、使わないか」で考えるタイプなので持ち物が少ないですが、この 「使いたいもの」という感情面を大切にする人は極限まで物を減らすのは避けたほうが人生の満足感が上がるかもしれません。

持ち方も満足度も人それぞれです。

▶︎必要だと思うのは本当か(習慣や思い込み)

自分が「必要」だと思っていても、実際には不要だった...ということはザラにあります。その見直しをするのには、物自体を見ていてもあまり浮かんでこず、自分に「持っている理由」をよくよく問いかけると「こんなことに自分は囚われていたのか」とハッとすることがたくさん出てくる はずです。

大抵長年の自分の習慣や、世間一般からの「当たり前」から「必要」と思っていることがほとんどで、それを物と一緒に見直し、そして手放すことがメインになります(もちろん、自分が必要だと感じる習慣や価値観なら手放しは不要)。

これでかなり、気持ちも部屋も軽くなるはずです。そしてさらに、いろんな可能性を見つけて先に進めたくなるはずです。

▶︎兼用や代用の可能性を考える

物がある程度減ってくると、確かにそれも必要だけど、はたして単体かつ単機能で存在している必要があるのか、と疑問に思うものが色々と出てきます。私の場合は、この部分を考え抜いた結果、 寝具類と洗浄剤の数が格段にミニマムになりました。

うちにあるボディーソープは、ハンドソープ、ボディソープ、シャンプー、洗顔フォーム、そして 時々食器洗いにまで活用する「兼用の鬼」のようなアイテムになっています。置き場所も困らず、 買い物もこれを気にしているだけでいいので、かなりいろんなことが楽になりました。

寝具は、寝袋とその下に敷くアウトドア用の折りたたみマットだけですが、これも敷布団や掛け 布団カバーなど、そうした類のものが一切に不要になる「兼用の鬼」です。

きっとどなたの家にも「兼用の鬼」に変換できる物がいくつかあり、それを見つけ出すのは結構面白い作業なのでぜひトライしてみてください。

▶︎自分が持っている価値観や固定概念を見直す

物の見直しをするとき、「自問自答」とか「内省」と言葉に乗っかっただけで、実際には何もで きていないことが結構起こります。

そうしたことを避けるため、ある程度「自分への問いかけのテンプレート」を持っておいた方が、自分への問いかけもスムーズに進められるような気がしています。

私の問いかけのテンプレートで一番シンプルな物だと、「子供から問いかけられた時にどう答えるか」というのがあります。

例えば5歳くらいの子供から「ね〜どうしてヒールって履くの〜?」と聞かれたら、すぐ答えられる気がしません。「足が綺麗に見えるからだよ」と表面上は答えるかもしれませんが、果たして 本当に自分は「足が綺麗に見えるから」「スタイルが完成するから」ヒールを履くのか結構怪しいです。

その一歩奥に、本当の自分の「持っている思い」があり、その思いの上にちょんと物が乗っているようなイメージです。物だけを見ても、本意が浮かばない時は「子供から問いかけれたら」で自分を深く掘ると新しい発見があるかもしれません。

▶︎物だけでなく価値観、習慣、持たされたものの多さに気づくこと

ここまで「必要と思ったもの」のさらに一歩先の、意味を探る方法や、見つけだした方がいい理由を書いてきたのですが、価値や習慣を手放すだけでなく、私たちが自分で選びに行ったというよりも「どこからか持たされたものの多さ」に気づくことも大事なんじゃないか、私はそう思います。

物というのは基本自分で選んだり、それで持っていたりするわけですが、その「持つ理由」とい うのを意外と自覚していないことに私は持たない生活を過ごすうち気づきました。

「大人なら〜」 「女性なら〜」「男性なら〜」といった「こうであるべし」に自分の生活はかなりのところを占領されていることに、私も手放し始めた当初、衝撃を受けたことを今でもありありと思い出します。

物はそうした自分の「根底にある価値観」を見直させてくれます。物を見直しながら、自分の基盤も一緒に見直していくのです。

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