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【かぜたみ日記】超嫌い苦手無理だったレーズンが今は「普通においしいよね(好感)」になれたことについて

こんにちは、かぜのたみです。
文字を書く習慣をツイッター以外にも取り戻さねばと、noteを更新したいと思います。話したほうが早い、と思いがちなんですけど、結構使ってる脳の部位が違うのか、「そういうモード」を取り戻さなきゃなんですよね。みたいなことを、以前にも書いてnoteを更新したような記憶もありますが、、、、。

私の諸事情はさておき!です!というか、これから書くことも私の諸事情でしかない気がしますが、あまり深く考えず進めます。


近年、レーズンをよく食しています。ブドウの粒を乾燥させた、あのレーズンです。

家計の見直しの際に「スナック菓子に安易に手を出さない」ための対応策として、「レーズン1粒の力はすごい!健康にいい!パワーフード!」みたいなスーパーポジティブなネット上のデータに感化され(事実だとは思いますがおそらくたぶん)、いやいやながらもレーズンを1袋買うようになったのがきっかけでした。

とわざわざ書いてしまうのも、私はレーズンが幼少時より超嫌いで、1粒であれ、かなりの拒否反応を示していたからです。

レーズン嫌いの記憶のスタートはまず幼稚園の時の給食で、「給食に出てくるレーズンパンと、サラダになぜか入ってるレーズンを食べれないため、全く食が進まず先生に激怒される」などがあり、正直に申告すれば「レーズンのせいで先生に激怒された」くらいの恨みもあるかもしれません。なので、「むしろどれにもレーズンは入れんくていい」と心底思っていた子供の頃を経て、手を伸ばす(しかも自ら!)「レーズン1袋購入」なのです。いやしかし尊い。

でもレーズンを1袋購入するようになったからといって、翻って”超嫌い→超好き”になったわけではなく、よくある「アンチは元は超ファン」とか「超嫌いは超好きに転換する」「愛してるってことは憎んでもいること」ではありません。

レーズン超嫌い→嫌い→まあまあ嫌い→ふつう→いいよね(好感)、くらいの感じです。

こんな経緯をたどって、すっかり好きも嫌いでもない、多くの人も私と同じような感想を抱いていそうな食材、ごまとかひじきのように見事「普通」のポジションにアップしました。もっと詳しく表現すると「好感は持ってる」という影は薄いが最も安定感のあるレベルに昇格です。

そしてここで「よかったね!」で終わってもいいのですが、もう少し進めます。

超嫌いだったレーズンを、客観的な事実で言うところの”克服”して思ったのは「嫌いなものほど良質なものから触れた方がいい」ということでした。

嫌いなものほど良質なものから触れた方がいい。

これはどんなこともそうだと思うのですが、特に身近な食べ物だとわかりやすいです。

最初は私とレーズンも、「体のため…パワーフードだから…」のしぶしぶスタートでしたが、少しずつ味や食感にも慣れたある時、「ちょっといいレーズン」を買う勇気が出てきて(嫌いならお金を出すのが難しくないですか)、ポイと食したところ、そこから大きく飛躍を遂げ、「嫌い」が完全に払拭されました。

ちょっといいレーズンの実力もあったのでしょうが、味わうという自分の心の余裕が出てきたこと、あとは「嫌いじゃない」という自分側の素養などが複数整ったことも大きかったかもしれません。

という、この飛躍からの、苦手や嫌なことはまず「良質なもの」に触れるのがいいという学びなのでした。

苦手なものや嫌いなものほど、徹底的に避けたり、そのまま飲み込むような無になる作業に自分を追い込んだり、あとは攻撃対象とするなど、いろいろな避け方があるかと思いますが、嫌いを脱したいと思ったら「良いもの」にまず触れるが良しかぁ、です。

好きと嫌い、良いとそうでも、とは。

嫌いなものほど、全域で嫌ったりしてしまいがちですが、その中には「価値観をガラリと変えてくれるもの」もかなり良く含まれているというのが、私のこれまでにも経験した学びなのですが、無下に全選択で嫌ってはいけないのです。にしても、嫌いなものほど全選択で嫌いがち。

では逆に、好きっていうのはどういう状態かというと「どんなものでも好き」というのがやっぱり「好き」の力です。こちらは全選択で「好き」となります。迷わず一番上にある「全てを選択する」ボタンにチェックを入れるレベル。

そう、レーズンが好きな人なら、給食のパンに入ってる小粒のレーズンも、ダイソーの大量に入ってて安いレーズンも、オールレーズンのペシャンコにされたレーズンも、マルセイバターサンドの大粒高級レーズンも、おしゃれなカレーのライスにのってる薄い色のミニレーズンも、高級なバニラアイスに乗せられがちな艶やかなラムレーズンも、みんな、それはもうみんな美味しく愛せるはずです。

どんな状態でも、どんなものでも好き。どれも良い。素敵。

それが「好き」という状態なのだと思います。

しかし嫌いな人にとっては、上のように恨めしく思ってるがゆえにスイスイとあらゆる例えが出てきてしまう状況にあり、「なくなれ…」と皿の隅に避けてむしろ意識しすぎて粘着してしまってるほど、どれも完全に受け付けないのです。

もし私がレーズンなら、「レーズンが乗ってる故に、そのカレーまで嫌いになりそう」とか思われて、それほどまで自分をつまみ出してくる人間に対して、大きなトラウマが残ってしまうレベルです。

そしてこんなあまりな状態が長く続きがちなのも「”良いもの”との区別をつけて、自分に取り入れられていない」ということも大きい気がします。レーズン全員ダメ、みたいな。

なので、もし嫌いなことや克服したいことがあったり、もう少し自分なりにでも、うまく付き合っていきたいな、と思った時は、自ら冒険的に「ちょっと良い」へ進む勇気と、あとは

人から良いものを教えてもらって触れる

が有効かもと思いました(今回、私は誰かからちょっといいレーズンを勧められたわけではないですけども)。

で、です。ここで一つ考慮すべき点があります。

レーズンが好きな人は、主観強めの「私はこれ美味しいと思う」を、どのレーズンも愛してる心境でアドバイスしてくれる状態にあります。

これだと「レーズン通がゆえの凝った好き」も多量に含まれている可能性が高いため、ビギナーには受け取りづらい感じになったりして、余計に「嫌い苦手無理」が強まるので要注意な気がします。「誰かの好き」を素直に受け取れないのもなんだか申し訳ないですし。

というのを加味して、受け入れるべきは「一般的に美味しいとされてます」とか「大体の人は結構好きかもしれないですね」のような、「客観的に判断してくれる感じ」のニュートラルでライトなお声が最も参考になりそうです。

一見ものすごく信頼が置けそうな「レーズンが好きな人が言うのだから」なのですが、恨むつもりもなんでもないですが、私的には諸刃の剣な気がします。その人のことが好きで、どさくさに紛れて、レーズンのことも一緒に好きになれる可能性もあるので、ここは1つ、チャレンジ案件と捉えておきましょう。

好き、嫌い、好き、嫌い、

好きや嫌いという好み問題は、人の面白い感情の一つで、私はそれを楽しむのが好きです。

というので、日常生活の中でも、もし自分が「超嫌い苦手無理」で受け付けないものがあったら「まずは良いものに触れてから再考する」も一理ありか、と思いました。今後に活かしていきたいです。

ですが生理的に無理、みたいな例外的な超無理もあるので、無理やりは一番ダメなんですが、私とレーズンのような関係性、長年にも渡っておりちょっとした感じ根が深そうに見える、そんなことでも、ぜんぜん改善の余地もあるな、ということです。

あと苦手嫌いな対象は、最初に「どんな関係性を自分が望むか」を思い描いておくと、よりスムーズに関係を構築できるきっかけを掴みやすいかもしれないですね。

以上、私とレーズンの最近について、でした。

それでは、本日もあんじょう!



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