見出し画像

ミニマリストの私の心がけ「“今はいらない物”に敏感になる」

前は必要だったのに、今はいらないなぁという物を放置すると、そこから雪だるま式に物が増えたり、それに伴ってお金が減っていったりする気がしています。

というのも、自分が「今はいらない物」の取り扱いには、割と慎重かつ敏感に過ごしていると自覚があるからです。

前は必要だったけど、今はいらない物

以前にかなり使っていたりすると、見過ごして過ごそうと思えば、全然日々は過ぎていきます。前までよく使ってたのだから、それは当然です。

しかも、自分の主観的には「使ってる」という感じで捉えていたりして、「そういや全然使ってない」まで、ちゃんと着陸するのは、気づかなければなかなか先のことになりがちじゃないでしょうか。

また使うかもしれないし

と残しておいた物で、さらに使ったことは私はいまだにありません。それは、あるから使うのであって、ないなら使わないものです。

何となく台所の隅に置いておく、小さいチョコレートと同じ。

なければないで、別に「食べたい!」ともならないモノなのです。

その時は必要だったけど、今はいらない物

こうしたモノの消費期限というのは、実はとっくに終了していたりもします。

欲しくて買った洋服
食べたくて買ったおやつ
やってみたくて買った収納グッズ

でも、今はしっくりこない。

そういう時は、おそらく「もう役目は終わった」ということだと思います。

買った時点で、すでに「満足」という気持ちと交換している

なので、使わなくても、着なくても、食べなくても、そのモノは役割を終えているから「今は必要ない」になっている。

ただ単に、そういうことだと思うのです。

手に入った高揚感で
その洋服は役目を終えている

食べてみたい!とワクワクした気持ちが体験できて、
そのお菓子は役割を終えている

使ってみたい!と綺麗になった部屋を想像できて、
その収納グッズは役割を終えている

役割をもう終えていることに気づかなくて、いつまでも終わった気持ちを引きずってしまってる。

そういうことなんじゃないかなーと思います。「今は使ってない」の6割くらいは。

でも、その「買う前のワクワク感」とか「買うぞ!と思った時の高揚感」を再体験できるのなら、今は使っていないモノにも役目がある気がします。

見るだけで元気が出る置物
触れるだけで安心できる毛布
いつもの日常を感じられるマグカップ

こういう「いつもの自分」とか「自分と繋がってるもの」は、大事にした方がいいです。

ここから先は

451字
この記事のみ ¥ 150