わからない自分

今日はプールに行った。
なかなか泳げない。昔は25mなんて余裕だったのに、と思うと哀しくなった。だからか、なんだか色々考えてしまう日だった。

人には世間話、無駄な会話って必要なんだろうか??
何気ない会話、んー、スーパーのレジで、ありがとう以外に暑いねーなんて少しの上乗せがある感じ程度の。

そんなことを別に意識してたことはなかったけど、ある日私にしては大きめの所属場所を抜けたら、ほとんどの会話は世間話、噂話、井戸端会議的な、まぁいわゆるどうでもよい話だったな、ってことに気づいた。

で、とんとそんなことがなくなるのは最初は快適だった、たしかに。
だって、嫌な言い方をすれば時間とその時間が昼だったりしたらランチも加わってお金も無駄だったわけで、いや、笑ってたんだから無駄とまで言わないけど、あってもなくても構わない時間の過ごし方だったなって、思って。

でも楽しかったんだよな、とも思い出すのだ。
いつもばかみたいに笑ってた。
特に凄い話もなく、似たような話を毎回してただけで、たしかに作り笑いの日もあったろうけど、時間はあっという間に過ぎてた。

それが今は意識しないと全然話なんかしないで日を過ごせる。
よく人と話すのが好きではないとか、苦手とか言うのを聞くけど、そんな人は世間話みたいなこともしたくないんだろうか。
私が、ただ人恋しがりやってことなのか。

かと言って、またあの輪に戻りたいわけではない。
友人とは約束すれば話せるけど、そうでなくただの日常での会話をして笑ったりしたいのだ。

自分に正直になると、色んな自分がいてわからなくなる。笑ったりしたいなんていっても、長くなりそうなおばちゃんには捕まりたくなくて、おはようございますー、でチャリダッシュする自分もいる。

こっからなのかなー。
色んな人に出会うために新たな行動をしていくのかなー。
わかんないなー。

明日は苦手なおばちゃんとも話してみるべきなんかな?

オヤスミナサイ!





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